日本仏教史 2/4~仏教の発展

どうして膨大な仏典ができたか
仏教がキリスト教などと違う一つの点は、その聖典の分量が膨大だというところにある。キリスト教では、旧約・新約聖書を合わせるとかなりの量になるとはいえ、一冊に収まる程度の量である。ところが仏教では、今日広く普及している「大正新修大蔵経」によると、B5判の分厚い本に三段組みでぎっしり漢文が組まれて全100巻にのぼる。もっともこのなかには中国や日本で書かれた注釈書などまで入っているが、いわゆる経典だけ取り出しても21冊になる。これでは専門家でさえ十分に読みこなしきれない。どうしてこんなにたくさんの経典ができることになったのであろうか。
伝説によると、仏典の編纂作業はブッダの滅後、直ちに開始されたという。十大弟子の一人魔訶迦葉(マハーカーシャパ)は、
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弟子の一人の比丘がブッダが亡くなってこれで自由になれると喜んでいるのを見て、これではブッダの教えは滅んでしまうと危機感を抱き、ブッダの教えを正しく伝えようと決心した。そこで仏弟子たちに呼びかけ、500人の長老たちが集まって、マガダ国の首都王舎城(ラージャグリハ)で集会を開き、ブッダの教えやブッダが定めた戒律を確認したという。ブッダ自身の用いた言語はマガダ地方の方言であるマガダ語であったと考えられるが、初期の仏教では言語を無理に統一しようとせず、各地の方言を自由に用いたようである。そのなかでとくにのちにパーリ語とよばれるようになる言語のものがスリランカに伝えられて、今日に至るまで東南アジアの仏教の聖典とされている。他方、中国に伝えられた原始経典は、聖典を意味するアーガマの音写で阿含経典とよばれたが、小乗経典として低く見られ、近代にいたるまで十分に研究されることが無かった。


仏教が中国に伝わったのは、伝説では西暦67年、後漢の明帝の時のこととされる。通常、漢語仏典はその訳出年代によって3つの時期に分ける。まず、最も古い時代の訳を古訳と呼ぶ。大体、鳩摩羅什(350~409頃)より前の訳を指す。主要な翻訳者としては、安世高のほかに、支謙(3世紀)、竺法護(233~310頃)などがいる。この頃の翻訳者は、主として西域(中央アジア)から来た人であり、直接インドから来た人は少ない。したがってその言語も、インドのサンスクリット語ではなく、北西インドから西域にかけて用いられていたガンダーラ語であっただろうと推定されている。ところがこの時代の訳は極めて読みにくい。それゆえ古訳はのちには旧訳や新訳にとって替わられ、ほとんど読まれなくなってしまった。なぜそのように読みにくいかというと、何と言ってもこの時代は未だ試行錯誤の時代であった。そもそも中国は、よく知られているように、古代から極めて高度な文明をもっていた。そこへまったく違う発想、違う言語の新しい思想・宗教が入ってくるのであるから、それをどのように中国人に分からせたらよいのか、極めて難しい問題である。そこで、例えば、「さとり(ボーディ)」を「道」と訳すように、中国人になじみの概念で置き換えたり、どうしても中国語に翻訳できない言葉は「菩薩」のように音写するなど様々な工夫がなされた。そうやって、しだいに翻訳の原則ができあがってきたのである。
第二の時期を旧訳と呼ぶ。これは鳩摩羅什の時代から玄奘(602~664)よる前の訳を指す。この時代には、古訳時代の試行錯誤を経ておおよそその訳経の方針が定まり、すぐれた翻訳が続々となされた。「中論」「大智度論」など大乗仏教の基礎となる論書、とくに龍樹系の空の思想を紹介したことは大きな影響を与えた新訳は玄奘以後を指す。玄奘は「西遊記」の三蔵法師のモデルとしてあまりに有名であるが、629年に長安を発ち、さまざまな困難にうちかってインドに学び、多くの経論を持って645年に長安に戻った。新知識による厳密な訳は翻訳の流れを一変させることになった。彼の訳したものには「大般若経」600巻など膨大な経典もあるが、とくに「成唯識論」などにより、唯識学の新理論を紹介したことが大きい。玄奘以後の新訳としては特に、密教の伝訳が注目されよう。体系化された密教は善無畏(637~735)、金剛智(671~741)の2人によって伝えられた。前者は「大日経」を伝え、後者は弟子の不空(705~774)とともに「金剛頂経」を伝えた。しかし、もはや往年のい訳経のエネルギーは失われ、宋代になると、国家的な訳経体制だけは整えられたものの、大きな影響を与えるような訳経は行われないまま、終息に向かうのである。
日本人は現象界の外に絶対神をたてたり、イデア的世界を認めたりせず、現象世界をそのまま肯定する傾向が強い。もともとアニミズム的世界観に由来するもので、とくに自然世界を尊重することが多い。汎神論的な六大説はこのような日本人の世界観に極めてよく合致している。のちの道元の思想や親鸞の自然法爾説にもこの傾向は受け継がれる。次に、日本の宗教には絶対者と合一して超能力を発揮するシャーマニズムの要素も大きいが、三密加持による即身成仏の理論はこのような発想法と合致する面を持っている。
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