坂の上の雲二 7~正岡子規の和歌批判

内藤鳴雪「蕪村第一等の傑作は、春の水山なき国を流れけり、じゃな」
そういうと子規はうなずかなかった。この句は蕪村としては劣るという。
「山なき国というのがいけません」
といった。山なき国とは何か。たとえば関東の武蔵野あたりかもしれないが、そういう地図的観念に頼っている。鑑賞する者はあたまに地図でもえがかなければならず、えがいたところでそれは頭で操作されたものであり、絵画的ではない。俳句は読み上げられたときに決定的に情景が出てこねばならず、つまり絵画的でなければならず、さらにいうならば「写生」でなければならない、と子規は言う。
わずかな例外をのぞいて和歌というものはほとんどくだらぬといってのけた子規は、そのくだらぬわけを、さまざまに実証する。たとえば、
「月見れば千々に物こそ悲しけれわが身ひとつの秋にはあらねど」
という名歌をひく。上三句はすらりとして難が無いが、下二句はリクツである、と子規は言う。歌は感情を述べるものである。リクツを述べるものではない。・・・もしわが身ひとつの秋と思うと読むならそれは感情としてすじがとおっている、が、秋ではないが、と言い出したところがリクツである。俗人はいうにおよばないが、いまのいわゆる歌よみどもは多くリクツをならべて楽しんでいる。厳格に言えばこれらは歌でもなく、歌読みでもない」
思い切ったことをいっている。古歌をこきおろすだけでなく、古歌をありがたがってそれを手本に歌をつくっているいまの歌人は歌人ではない、その作品も歌ではない、という。
子規は漱石へ送った。
「歌については内外ともに敵である。そとの敵はおもしろいが、内の敵には閉口している。内の敵とは新聞社の先輩その他、交際のある先輩の小言のことである。まさかそんな人(羯南をあたまにおいていたであろう)にむかってりくつをのべるわけにもゆかず、さりとていまさら出しかけた議論をひっこめるわけにもゆかず、困っている」


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ピョートル大帝が風変わりであったのは、かれ自身が外国で職工になったことである。
-ロシアの造船技術はだめだ。
と、ピョートルはかねておもっていたが、同時にその不満を解消すべき機会をねらっていた。かれは当時、造船技術での高峰といえばイギリスとオランダである。その機会をつくるためにかれは別な企画を考え、実行した。かれは25歳のとき、宮廷政治家たちを中心にした250人の団体を組み、彼が自ら率い西欧文明の見学旅行をやったのである。ロシア貴族のあたまをきりかえるためであった。これも日本の維新当時によく似た事がある。
岩倉具視を首領にした大見学団がそれで、閣僚のほぼ半数を含めた者がこれに加わり、その人数は200人という大世帯になった。大久保利通、木戸孝允、伊藤博文などがこれに加わり、その収穫はその後の開化にはかりしれぬ影響をもたらした。ロシアの場合も同様である。その「文明見学」はさまざまの珍談をうんだ。生活習慣が違うため西ヨーロッパの側からみればロシア人は野蛮人であるとしか思えないことが多かった。そのように断定する人も多かった。すくなくともピョートル以下がとまったロンドンの旅館の主人はそう思った。ロシア人は室内でも痰をはき、つばをはき、酒を飲むと集団発狂したように乱暴になり、カーテンを引きちぎったり、家具を壊したりした。ピョートル自身がそのこわし屋の大将であった。かれは酒を飲むとロシア風の乱痴気さわぎをするのがすきであった。とうていヨーロッパの王や貴族といったふうの典雅さはなく、そういう点は匈奴であった。
しかし、この「匈奴の王」はヨーロッパ貴族ふうの典雅さこそないが、行動力にかけてはかれら文明の貴族たちがピョートルの足元にも寄れぬところがあった。オランダでは、ザータム造船所に一職工として入り込んだのである。「ロシアの君主であることをひとに漏らしてくれるな」と、最初から造船所の幹部に頼んでおいたから、職工たちは知らなかった。「大工のピーテル」という変名で働き、職長にどなられながらあらゆる労働に従事した。材木もかついだし釘運びもした。かれは全長100フィートの船の建造工事に最初から参加した。竣工までやった。どういう技術でも職工技術からやるというのがピョートルの考え方であり、そういうことをやってのけた帝王は古今東西にたれもいない。帝王としても人間としても、ピョートルは奇蹟のようなところがあった。ピョートルのどの肖像を見ても、ロシア風のもじゃひげをはやしていない。かれはそれがきらいであった。かれは帰国すると、自分の貴族たちがそれをはやしているのをみて、やりきれなくなり、
「今後、ひげをはやしている者には課税する」
と宣言し、事実その通りにした。開化の日本が、チョンマゲをゆるさず、断髪令を出したのと同じであった。
「みな長靴下をはけ」
ともピョートルは命じた。それまでロシアは東洋の影響を受けて貴族はだぶだぶの長衣をつけるのが普通であったが、それを禁じ、服装を西欧風にさせた。当然、保守家のあいだで「攘夷論」がおこり、ピョートルの評判は悪かったが、かれはつぎつぎに改革と西欧化を断行した。学校を作り、産業をおこすなど、かれはここで列記することができないほどに多くの事業をやったが、彼のそういう政治的奇蹟-革命-がかれのただひとりの手でなしえたのは、ひとつは、ツァーリというものがそれほど大きな専制力があるということであった。
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