久しぶりに小説を。長いのでまだ読み終わってないのですが、少しずつ書き始めてみようか・・・。しかし、司馬遼太郎というのは小説家なんですかねぇ? 読書家の皆さんの意見を聞きたいところ。小説という創作というより、司馬遼太郎の歴史観の反映、という気がするのですが。ああ、でも私は本はすきなのですが、小説はほとんど読まず、司馬遼太郎は、項羽と劉邦、燃えよ剣につぎ、これで3作目なんですけどね。
恥ずかしながら、「坂の上の雲」を読むまで、タイトルに坂ってついているので、坂本竜馬の話だと思っていましたw あれー、なんだかなかなか出てこないなぁ・・・、と思って、読書家の友人MNB氏に「坂本竜馬が出てこないんですけど?」「えっ、秋山兄弟の話でしょ? 日露戦争だよ」と優しく教えていただきました。
NHKのドラマにもなっているみたいです。ネットで見れるのかなぁ。読み終わったら、ドラマも見てみようかな。MNB氏はドラマ嫌い、原作との差がどうしても気になってしまうようなのですが、僕はあまり細かいことは気にならないので、ドラマも興味ありです。NHKのドラマは採算度外視、キャスト見ても映画並みに豪華なので、製作には苦悩があるでしょうが、視聴者として見る分にはお得な気がします。真野響子も出てるんだ・・・、それは見たいなぁ。
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薩摩が反乱を起こすのではないか。という風評は、好古が大阪の師範学校にいた頃から既に耳にしていた。維新後、薩摩藩はきわめて複雑な性格を持って新政府に対し、一種の独立国として対立していた。幕末、この藩の藩主的な位置にあった島津久光は極端に保守的な性格を持ちながら幕政改革の烽火をあげ、その後、側近の大久保利通ら革命派にいわばだまされて倒幕の主導勢力になったが、大久保らが新政府の顕職につき、「攘夷」が倒幕の口実であったのに欧化政策をとった。固陋な古典的教養人であった久光にすれば、-家来どもにだまされた。という思いが強かったであろう。このため維新後は鬱々として楽しまず、特に版籍奉還から廃藩置県にかけての新政府の処置に対しては久光は「まるで藩をつぶすために大汗かいて幕府を倒したことになる。なんたることか」大いに怒り、怒りのあまり一夜、鹿児島城外磯の別邸の前の海に石炭船をうかべ、終夜狂ったように花火を揚げさせたという。しかも時の鹿児島県令である大山綱吉は久光の腹心であった。このため東京で決定する新政府の政策は鹿児島県まで来た時はことごとくといっていいほど握りつぶされた。「薩摩のみがやった維新ではない。何たることか」と、長州派の代表である木戸孝允は、この時期、このために健康を害したといわれるほどに怒り続けた。この2月、鹿児島にあっては私学校の生徒が、城外の磯にある政府海軍の鉄砲製作所を襲い、兵器弾薬を奪った。さらに、県の政情偵察のために帰郷を装って鹿児島に入った東京警視庁の警官およびその党類とみなされた者が私学校生徒に捕縛された。
真之の当時の松山中学校の校長は、儒者近藤元弘である。英語教育については「じつにふしぎな英語だった」と、この当時の卒業生たちは言う。発音は先生の我流で、年中酔っ払っている三輪淑載先生などは、松山弁の発音をした。シー、ジー、ムーン、月を見よ、といったたぐいであった。発音よりも、意味に重点が置かれた。むろん、学習専門の英語教科書などなく、いきなり原書が用いられた。2年生ぐらいですでにパーレーの「万国史」を読まされ、高学年になると、ミルの「自由之理」が用いられた。先生もさほどの学識がなく、そのつど、「このところ、不可解なり」と飛ばしてしまう。生徒たちもそれを当然なことに思った。維新後10年そこそこというのに、松山の田舎でミルの「自由之理」を英文が完全に分かるような教師がいるはずがなかった。
> う~ん、俺も大阪訛りの英語を聞いた時は衝撃を受けた。「じつにふしぎな英語だった」www
-兄さん、これだけですか。
真之が言いたかったほど、この日の夕食は貧しかった。そこに置かれている副食物といえば、たくあんだけである。もっとも「この日」だけではなく、好古はいつもこの程度の食事で済ませていた。好古のこの極端な粗食については既に有名であった。好古は他の仕官や、郷党の後輩などに「よかったら、おれんとこに下宿せい」と、よくすすめた。すすめられたものは10日はそのとおりにするが、みなこの粗食に閉口して逃げ出した。好古の粗食には。別に主義があったわけではなく、
-腹が膨れればええじゃろ。
というだけの、単純な目的主義(これが生活のすべてにわたっての好古の生き方だが)によるものであり、それ以外に粗食哲学などは無い。「人間は滋養を取ることが大事である」という西洋の医学思想は既に入っており、他の人もよく好古にその思想を勧めたが「べつだんこれで痛痒を感じていない」と好古は答えるばかりであった。事実、この粗食で十分隊務に服しえたし、のち人間離れのしたエネルギーを発揮したコサック騎兵との戦いにも十分堪ええたし、72歳で病没するまでつねに血色はあかあかとしていた。もっとも好古は酒を好んだ。この兄弟対面の夕も弟には飯を食わせ、自分は酒を飲んだ。奇妙なことに、好古は茶碗を一つしか持っていなかった。一つの茶碗に酒を注ぎ、ぐっと飲むとその空茶碗を弟に渡す。弟はそれで飯を食う。その間、好古は待っている。ときどき、「早く食え」とせきたてた。
> 私が持っている家具。パソコンを置く机、ウィスキーグラス、スプーン、以上3点。このウィスキーグラスにシリアルを入れて食べる。
薩摩が反乱を起こすのではないか。という風評は、好古が大阪の師範学校にいた頃から既に耳にしていた。維新後、薩摩藩はきわめて複雑な性格を持って新政府に対し、一種の独立国として対立していた。幕末、この藩の藩主的な位置にあった島津久光は極端に保守的な性格を持ちながら幕政改革の烽火をあげ、その後、側近の大久保利通ら革命派にいわばだまされて倒幕の主導勢力になったが、大久保らが新政府の顕職につき、「攘夷」が倒幕の口実であったのに欧化政策をとった。固陋な古典的教養人であった久光にすれば、-家来どもにだまされた。という思いが強かったであろう。このため維新後は鬱々として楽しまず、特に版籍奉還から廃藩置県にかけての新政府の処置に対しては久光は「まるで藩をつぶすために大汗かいて幕府を倒したことになる。なんたることか」大いに怒り、怒りのあまり一夜、鹿児島城外磯の別邸の前の海に石炭船をうかべ、終夜狂ったように花火を揚げさせたという。しかも時の鹿児島県令である大山綱吉は久光の腹心であった。このため東京で決定する新政府の政策は鹿児島県まで来た時はことごとくといっていいほど握りつぶされた。「薩摩のみがやった維新ではない。何たることか」と、長州派の代表である木戸孝允は、この時期、このために健康を害したといわれるほどに怒り続けた。この2月、鹿児島にあっては私学校の生徒が、城外の磯にある政府海軍の鉄砲製作所を襲い、兵器弾薬を奪った。さらに、県の政情偵察のために帰郷を装って鹿児島に入った東京警視庁の警官およびその党類とみなされた者が私学校生徒に捕縛された。
真之の当時の松山中学校の校長は、儒者近藤元弘である。英語教育については「じつにふしぎな英語だった」と、この当時の卒業生たちは言う。発音は先生の我流で、年中酔っ払っている三輪淑載先生などは、松山弁の発音をした。シー、ジー、ムーン、月を見よ、といったたぐいであった。発音よりも、意味に重点が置かれた。むろん、学習専門の英語教科書などなく、いきなり原書が用いられた。2年生ぐらいですでにパーレーの「万国史」を読まされ、高学年になると、ミルの「自由之理」が用いられた。先生もさほどの学識がなく、そのつど、「このところ、不可解なり」と飛ばしてしまう。生徒たちもそれを当然なことに思った。維新後10年そこそこというのに、松山の田舎でミルの「自由之理」を英文が完全に分かるような教師がいるはずがなかった。
> う~ん、俺も大阪訛りの英語を聞いた時は衝撃を受けた。「じつにふしぎな英語だった」www
-兄さん、これだけですか。
真之が言いたかったほど、この日の夕食は貧しかった。そこに置かれている副食物といえば、たくあんだけである。もっとも「この日」だけではなく、好古はいつもこの程度の食事で済ませていた。好古のこの極端な粗食については既に有名であった。好古は他の仕官や、郷党の後輩などに「よかったら、おれんとこに下宿せい」と、よくすすめた。すすめられたものは10日はそのとおりにするが、みなこの粗食に閉口して逃げ出した。好古の粗食には。別に主義があったわけではなく、
-腹が膨れればええじゃろ。
というだけの、単純な目的主義(これが生活のすべてにわたっての好古の生き方だが)によるものであり、それ以外に粗食哲学などは無い。「人間は滋養を取ることが大事である」という西洋の医学思想は既に入っており、他の人もよく好古にその思想を勧めたが「べつだんこれで痛痒を感じていない」と好古は答えるばかりであった。事実、この粗食で十分隊務に服しえたし、のち人間離れのしたエネルギーを発揮したコサック騎兵との戦いにも十分堪ええたし、72歳で病没するまでつねに血色はあかあかとしていた。もっとも好古は酒を好んだ。この兄弟対面の夕も弟には飯を食わせ、自分は酒を飲んだ。奇妙なことに、好古は茶碗を一つしか持っていなかった。一つの茶碗に酒を注ぎ、ぐっと飲むとその空茶碗を弟に渡す。弟はそれで飯を食う。その間、好古は待っている。ときどき、「早く食え」とせきたてた。
> 私が持っている家具。パソコンを置く机、ウィスキーグラス、スプーン、以上3点。このウィスキーグラスにシリアルを入れて食べる。
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