王将は1967年、福岡県出身の故加藤朝雄氏が京都・四条大宮に1号店を開いたことでスタートし、順調に業務を拡大した。が、93年の朝雄氏急死後、3代目社長に就いた長男・潔氏が遺訓に反して不動産投資など多角経営に走って失敗。約470億円もの有利子負債を抱えて倒産寸前にまで追い込まれ退陣した。2000年に後任社長となった創業者の義弟である大東氏は、思い切った資産売却と不採算店閉鎖を進めて就任2年で黒字化に成功した。05年に中国大連に進出し、06年に大証1部に昇格を果たすと、13年3月期の売上高は743億円と過去最高を記録、14年3月期も762億円と更新するなど完全に再生した。
2000年4月、「王将」の4代目社長に就任した大東氏の最初の仕事は金策だった。約470億円という当時の全売上高を優に上回る有利子負債を抱え、ただでさえ途方にくれるしかなかったが、それ以前に約50億円分の社債の償還期限が間近に迫っており、直ちに大口の出資者を見つけなければ倒産するしかない状況だった。「大東氏が公私に渡って交友関係を築いてきた知人らに頼み込んだ結果、そのうちの1人に『王将』の26億円余りの第三者割当増資を引き受けてもらうことに成功した、と聞いている。ほかにも複数の知り合いが合計で50億円余もの投資を約束してくれたということらしい。今後の展開次第では株式は紙くず同然になるし、他の設備だって二束三文になる危険性を秘めていたのに、大東氏の人柄や実績が信頼されたということだろう」(「王将」関係者)
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> 第三者割当を引き受けたのは、アリアケジャパンの岡田甲子男氏で、今でも株主名簿に名を連ねている


大東氏の不満分子にとって「何より厄介なこと」は、大東氏が率先垂範で自ら仕事に取り組んでいる点だ。彼はまず、朝一番に出勤して本社の掃除から始めた。社員が出勤してくる前に正面玄関や駐車場をほうきで掃くだけでなく、洗剤片手にトイレ掃除まで行った。文字通り、社長自らが地を這うように働く姿を見せつけられては、迂闊に文句も言えないだろう。「会社周辺は大して汚れておらず、単なるパフォーマンスやという人もおるが、ワシが掃除をするようになって、たばこや空き缶のポイ捨てがなくなったんや。仕事は朝が勝負。9時にはエンジンが全開できるようにしとるんや」
> Wikipediaにも
社長就任後は毎朝6時前には出社し、本部のある会社の玄関を自ら開錠しては、玄関や駐車場を掃き清めて散水していたという。昼にはトイレ掃除もしていたが、その理由は「従業員には綺麗な会社で気持ちよく働いてもらいたいから」ということや、「本社の玄関が汚かったら、店に行ったときに『汚い』と指摘できない」ためであったという。また、社長専用車はあったが運転手は付けず、自ら運転していたという。
> すげー・・・。何も言えないわ…。
「上に立つ者は、私利私欲はもちろん、好き嫌いを度外視して物事を考えていかなければならない。間違ったら『間違えました』と言えばええんやし、誤りは正せばよい。下手に隠そうとするから、余計に面倒なことになるんや。正しいことをやっていれば、どこに行っても何をしても、少しも怖くない。たとえ警察に逮捕されようが、裁判に訴えられようが、株主総会で厳しく追及されようが、緊張なんてせんし、逆に『何でも質問して』とお願いしとるほどや」
福岡県は「王将」にとって、極めて重要な場所である。福岡市内に「王将」の店舗がオープンしたのは80年で、その後、県内に店舗網を広げるとともに、同市東区に「セントラルキッチン」と呼ばれる巨大工場を設立。餃子の餡や皮、麺類などを中心にその工場から「王将」独自の食材が各店舗に向けて次々と直送されていく。福岡県こそが「王将」九州進出戦略の一大拠点となったのである。王将創業者・加藤朝雄氏の出身地が福岡県飯塚市であり、加藤氏の懐刀として新店舗を全国展開させる際、用地買収や関係各界への根回しといった水面下での交渉を進めるなど尽力してきた人物も、福岡県出身であったからだ。
ここで登場するのが「王将」創業者時代から”懐刀”として、主に水面下で活躍してきた、仮にU氏と呼ぶことにしよう。U氏は「王将」創業者・加藤朝雄氏と同じ福岡県出身で、京都市内で不動産関係会社・K社を経営している。K社はバブル経済全盛期に、旧住宅金融専門会社(住専)の大手、「総合住金」から132億円の融資を受け、完全に焦げ付かせたことで知られる会社だ。「総合住金」多額貸出先の第4位にランクされ、一時は「問題企業」として金融業界からマークされていた。さらに、京都・闇社会の「フィクサー」とも「スポンサー」とも言われた山段芳春会長(99年3月死亡)率いるノンバンク「キョート・ファイナンス」からも二百数十億円を借り入れ、これを焦げ付かせたという不動産業界では”曰く付きの人物”である。U氏はもともとは、京都市に拠点を置く同和団体の中心的人物(故人)の実弟という立場だった。そして山口三代目の田岡一雄組長がなくなった後、その遺志を継いで美空ひばりをはじめ大物歌手や芸能人の「タニマチ」として応援してきたことでも知られている。
U氏と王将が深くかかわるようになって一つの転機は、年号が昭和から平成に変わる1989年、大阪・ミナミの「王将」戒橋店で発生した火災であった。この火事でビルの所有者の両親と「王将」の従業員の3人が煙に巻かれて逃げ遅れ、死体で見つかった。亡くなった老夫婦の夫は中国・山東省出身の華僑。この華僑夫妻は、大阪在住の同郷者約400人で作る大阪山東協会の有力幹部でもあったため、ビルの前には同協会会長らが続々と詰めかけた。そうした面々の強力な後押しもあって「王将」と遺族との賠償交渉は難航し、91年2月にはとうとう法廷の場に持ち込まれた。華僑仲間はもとより頼んでもいない地元の暴力団や右翼団体などが両社の周辺に姿を現し、様々なことを言いだしたために余計に話がややこしくなり、交渉が進まなくなったのだ。
その時、王将側の交渉代理人の一人として登場したのがU氏であった。この争いは結局、火災から8年経った97年3月、大阪高裁の調停で和解が成立した。その主な内容は、①王将側が同ビルを所有していた会社に対し、消失による損害補償金1億1700万円余を支払う。②王将が死亡した華僑夫妻の慰謝料等約3700万円余を息子に支払う。③焼け残った同ビルの跡地を「王将」側が8億5800万円余で購入するというもので、U氏が仲介に入ったことで果たして、王将側に有利に働いたといえるか否か微妙な結末となった。
問題はU氏への成功報酬1億円の捻出方法であった。和解から2年後の99年夏、「王将」の脱税疑惑が明るみに出た。大阪国税局による税務調査を受けた王将は、98年3月までの3年間に約1億7000万円の申告漏れがあったことを指摘され、約8000万円の追徴課税処分を受けた。特にこのうち約1億3000万円は「悪質な所得隠し」とみなされ、重加算税の対象となったのだ。つまり、焼け残ったビルの跡地購入代金約8億5800万円の中にU氏への謝礼を含む1億3000万円を潜り込ませ、経費として計上していたことが「所得隠し」と認定されたのである。
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