指導者のアブー・バクル・アル=バグダーディーは、2010年に「イスラーム国」の前身組織「イラク・イスラーム国」のアミール(司令官)に就任した際から、預言者ムハンマドと同族の「クライシュ族」に属す、と主張してきた。イスラーム法上は、クライシュ族に属すということがカリフの要件として重視される。バグダーディーはいつか「カリフ」を名乗ることを、「イスラーム国」の指導層は早くから想定していたとみられる。世界中のモスリムが、バグダーディーあるいは「イスラーム国」の指導者を自らのカリフとして認めたということではない。しかし「カリフ制が復活し自分がカリフである」と主張し、その主張が周囲から認められる人物が出現したこと、イラクとシリアの地方・辺境地帯に限定されるとはいえ、一定の支配領域を確保していることは衝撃的だった
カリフ制はイスラーム法では世界のイスラーム教徒の共同体(ウンマ)の正当な指導者と規定される。しかし長期間、その座は空位となっていた。20世紀初頭まで存在したオスマン帝国のスルターンは、カリフ位についていると主張したが、預言者ムハンマドの血をひかないトルコ人のスルターンが全世界のカリフであるという主張は、イスラーム法上は疑わしい。全世界のイスラーム教徒を指導することを主張するカリフが存在していたのは、アッバース朝(750~1258年)までだろう。そのアッバース朝のカリフにしても、対抗してスペインに後ウマイヤ朝(756~1031年)のカリフを主張する政権が存在し、シーア派系のファーティマ朝(909~1171年)のカリフがエジプトを支配するなど、イスラーム教徒の共同体には複数の政体が並び立っていた。


斬首による処刑と奴隷制
「イスラーム国」のメディア・キャンペーンは次第に陰惨の度を深めていった。斬首による処刑は、サウジアラビアでも金曜日に公開で行われているように、イスラーム諸国で必ずしも忌避されるものとは言えない。しかし一般的に言って、斬首による処刑の場面を映像に撮影して全世界に公開するという手法が、イスラーム教徒に好感をもって迎えられるとも思えない。それでもなお、このような映像を公開するのはなぜだろうか。おそらく、「イスラーム国」側の観点からは、宣伝効果や威嚇効果が負の側面を上回っていると考えられているからだろう。「狂信者が残酷な行為を行っている」と捉えるだけでは説明できない。背後に綿密に計算と演出に注目すべきである。
「イスラーム国」は、シリアに渡航した欧米人を人質にして、順次殺害を予告し、実際に殺害して、その映像を公開していった。それが米国世論を刺激し、オバマ政権にシリアへの空爆拡大を決断させる背景要因となった。欧米人人質の処刑に関しては、処刑の対象者も、処刑の実行者も、入念に人選をし、時期を選んでいる。欧米人一般ではなく、まずは米国人を、続いて英国人を選び、それらの国によるイラクあるいはシリアへの軍事介入を止めるよう要求する映像を流して一定期間を置いた上で、処刑して公開していった。それによって、少なくとも集団の側の論理では、これらの殺人に正当性があるという主張の根拠を示す形で情報発信を試みたことがわかる。
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人質にオレンジ色の服を着せてカメラの前で語らせ、処刑するという手順はイラク戦争後に定着した、いわば「テロの文化」の儀式に則っている。9・11事件後の米国の「対テロ戦争」では、米軍は敵性戦闘員とみなした者たちを拘束し、戦争捕虜とも犯罪容疑者とも異なる法的カテゴリーと位置付け、米国法が及ばないキューバのグアンタナモ米軍基地内に設けた収容所に監禁して尋問した。グアンタナモ基地の収容所の写真・映像は広く出回っており、そこで収容者が着せられたオレンジ色の囚人服もよく知られている。またイラクのアブー・グレイブ刑務所での捕虜虐待の写真が流出した際にも、そこでオレンジ色の囚人服が使われていることが鮮明に印象付けられた。そのような背景から、欧米人を拘束し、オレンジ色の囚人服を着せて辱めてから処刑することが、反米武装勢力にとってのいわば「様式」となって定着していった。オレンジ色の服を着せることで、グアンタナモやアブー・グレイブでのイスラーム教徒に対する不当な扱いに憤る者たちの目には、斬首や映像公開といった行為も「正当」に見えるという効果を狙っているのだろう。

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