お金の自由こそが幸福の源 貨幣はこれまで発明されてきた自由の道具のうち最も偉大なものだ
計画経済は独裁的な方法を必要とするから、責任と権力を一人の統制者の手に委ねるべきであり、統制者の行動は民主主義的手続きから解放されなければならない、という計画主義の主張があります。そういう議論が出てくるとき、統制経済は生活の心配がないようにするものであり、ただ経済問題にだけ適用して他のことには関与しないとか、生活の不安がなくなりもっとレベルの高い価値を追求する自由を得るだろう、というようなことが、計画主義者の口から発せられるとハイエクはいいます。これは計画経済、統制経済の悪魔のささやきなのです。
「経済的動機」と呼ばれるものは「チャンス全般への希望」であり、お金は色々な目的を達成するための力への欲望を意味するに過ぎないとハイエクは説明しています。お金があったら外国に行こう、温泉に行こう、別荘を構えよう、子供を大学にやろう等々、そういう目的のためにお金が必要だということはいうまでもないことでしょう。もし、お金だけを純粋な目的とする人が居るとすれば、それは病的な守銭奴以外にないとハイエクに言います。また、世の中にお金があるから貧乏があるとか、お金を憎むというのは、手段と目的を取り違えています。そして、お金は最も広い選択の幅を与えてくれるものであり、自由の道具であり、自由の元だといっています。その裏づけとして「金銭的動機」のほとんどを「非経済的誘因」へ改めたらどうなるかを考えてみることを、ハイエクは勧めています。労働報酬がお金でなく表彰や特権、地位、食べ物、家、旅行、教育の特典といった具体的な形、つまり現物給付でしかもらえなかったらどうなるか。受け取る者に選択の余地がなくなってしまうのは明らかなことです。
> 僕もそうでした。高いマンション、ビジネスクラス、海外での日経新聞や携帯。「それ要らないんで金ください。」と思うと辞めるしかないよね。


ファシズムや国家社会主義とは、中産階級の人たちという新たな非特権階級による「労働貴族制」に対する反乱であったとハイエクは定義しています。要するに、ヒトラー以前の社会主義政党は産業組合労働者だけを大切にし、事務員、タイピスト、管理者、学校教師、商人、下級公務員といった人たちが取り残され、そういった「ホワイト・カラーのプロレタリアート」の人々が強大な組合のメンバーとして彼らの数倍の給料を取っている機関士や植字工に対して抱いた嫉妬心が、ヒトラーの運動に大きな影響を与えたといいます。そして初期のナチス運動に参加した下層党員の平均所得は産業組合労働者や旧社会党員よりも低かったことも疑いがないことであり、その多くは没落していく中産階級で、かつてはよい暮らしをし、よい時代の面影を残す住まいや家具などの環境に住み続けている人も多かったといっています。中産階級に育ち、家にはそれなりの家具があり、ちょっとした本もある。しかし、収入は何の教養もない産業労働組合に属している社会主義政党が守る組合員の何分の1しかない。この中産階級が憤懣やる方なく、共産党を追い出せと主張したヒトラーを支持したということです。
> 日本、ばっちりな土壌じゃんw 格差とか言ってて面白~い。ピケティの前にハイエクの方が理解しやすいんじゃないかな。
個人主義的倫理は目的が言いか悪いかを一切問わずに詐欺や窃盗、背信などを悪だといっている箇所です。つまりねずみ小僧が庶民に金をばらまくためであったとしても、盗みを働くのは悪い。これが個人主義的倫理であり、だからこそ非常に単純でありながら普遍的・絶対的だとハイエクは言います。それに対して全体主義は「全体のための善」であるなら何をやってもよくなり、都合の善し悪し以外に制約が存在しなくなり、彼らの善悪間は普遍的でもなければ絶対的でもないとハイエクは批判します。
アメリカ軍の占領は期間にすると7年間ですが、そのマインド・コントロールがなかなか取れない人は多かったと思います。それが後を引いている証拠は日本が独立を回復したときに独立記念日を作らなかったことです。独立を回復して喜ばない国民は聞いたことありません。さて、宣伝で洗脳されますと、人間の生命、弱者、個人一般への尊重の念などの自由主義社会の道徳に含まれる人道主義的要素の多くが消えてしまいます。人間関係の普通の道徳感情は自由主義社会、すなわち商業社会にしかないということです。ところが恐ろしいことに、自由社会の道徳は軟弱だから全体主の道徳のほうが望ましく思われる可能性があります。戦争中の日本はまことにその通りで、自由主義のふやけた精神をただせ、ヒトラー・ユーゲントをみろなどということが言い始められたことを私は体験しています。
反自由商業国は破滅する
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ゾンバルト著「商人と英雄」より、「商業的な文明」と「英雄的な文化」という対照的な表現がでてきます。「シビライゼーション(シビリザツォン)」と「カルチャー(クルトゥア)」それはどこが違うのか。「シビリザツォン」は国境を越えた観念と考えたらいいでしょう。「クルトゥア」は国境、あるいはさらに小さいほうに目を向けた観念です。「ギリシア文明」といい、「ローマ文明」というのは、どちらも国境を越えて広まったものだからです。ところが「ドイツ文明」とはいえません。これはまだドイツの中に留まっているものだからです。だから「ドイツ文化史」には「ドイチェ・クルトゥア」という表現が使われるわけです。ちなみにフランスでは自国の文化史を「イストワール・ドゥ・ラ・シヴィリザシオン・フランセズ」といいます。フランス文化に対してシビライゼーションを使うのです。これはフランスがローマ文明の長女だと考えているので、その延長線上にフランスの場合は文明だという感覚があるのだろうと思います。
考えてみますと、イギリスが戦争をするときにはいつも味方がつき、逆に戦争相手になっている国にはあまり味方がつかないことが多いことに気がつきました。それはイギリスが商業国家だったからでしょう。イギリスとつきあうと必ず相手も得をする関係にあった。そうするとイギリスが戦争に巻き込まれて困っているとなればどうしても味方したくなる。その極端な例がナポレオン戦争のときのロシアで、ナポレオンは大陸封鎖令でイギリスを干乾しにしようと考えた。しかし、イギリスと材木の取引をしていたロシア皇帝はナポレオンの禁令を破ったわけです。このように商業国と言うのは味方を作りやすいという性質があるのですが、ゾンバルトの悲劇はその商業を軽蔑したところにあるといえます。
「社会」と「国家」の区別は意味がないというE・H・カー(20年間の危機、平和の条件)の主張はナチスで指導的立場にあった理論家カール・シュミットの教義そのものだとハイエクは指摘しています。確かに国家社会主義になれば「社会」と「国家」の違いはなくなりますが、社会と国家の垣根がはっきりしているかどうかということに、「社会政策」と「社会主義政策」の違いがあるという見方もできます。社会がやるというのはボランティア、福祉団体などが担い手になります。一方、国家は強制的に税金で取り上げてばらまきます。その違いは社会がお互い様という関係でやるのに比べ、国家は徴税権という伝家の宝刀を持ってやるということです。だから、社会と国家の区別がなくなるというのは怖いことです。今の日本はあまりはっきり区別していないわけですから非常に危険だと考えるべきでしょう。また逆に国家のほうを消し「私は国民よりも市民のほうを選びます」という馬鹿な発想をする政治化が日本には出てきたりもしています。これは国家が社会を飲み込むのに対する裏返しの発想ですが、両方ともだめなのです。
最近のアメリカで感心したのは、ヒラリー大統領夫人が医療保険制度を導入しようとしたとき、議会が反発して法案を通さなかったのです。ヒラリー夫人は議会で、私の提案は政策の次元の問題ではなく正義の問題であるといったのです。地獄への道は善意で舗装されていて、かわいそうな人は一人もなくしましょうなどと正義を盾にしたとたん、国がすべてを握る全体主義に踏み込むことになります。しかし、それは国がやることではないと拒否したのですから、アメリカには健全なところがあると思います。
金融政策は失業問題に本当の解決策を提供することができないとハイエクはいいます。金融政策でできるのは、極端なインフレを発生させ、引き下げ不能になった賃金以外の全般的な賃金や物価を引き上げることぐらいである。インフレ政策しかできないのでは意味がないということです。インフレは目前の問題を解決することはできます。銀行の不良債権にしても、インフレを起こせば簡単に解決できる。だから今、日本でも調整インフレ論が出ています。しかしインフレの副作用として何が起こるのかわかりません。確実にいえるのは蓄積された貯金は紙くずとなり中産階級の没落が起こることです。
> 金融政策なう、消費税でインフレ中なう、中産階級没落なう、民から官への資金シフト中なう だw

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