民主主義と社会主義にはたった1つ共通しているものがあるという指摘も紹介されています。ド・トクヴィルのいう共通点は「平等」という言葉のことです。ただし、言葉としては同じでもその中身は違っています。民主主義は自由において平等を求めようとするのに対し、社会主義は統制と隷属において平等を達成しようとしていると、それぞれの意味の違いを上手に説明しています。別の言葉で言えば、民主主義の自由は機会を平等にする自由で、社会主義は結果の平等だということになるでしょう。ところが平等と言う言葉が出たときに、社会主義こそが「新しい自由」をもたらす約束になったとハイエクは言います。自由と平等がいつの間にか一緒になってしまったのです。このことを「自由」という言葉の意味を社会主義者たちがたくみに変えてしまったとハイエクは非難します。
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まだオーストリア人だったころのピーター・ドラッカーは、ナチスに追われ、イギリスに逃げ、さらにアメリカに渡って第二次世界大戦後にアメリカで有名な経済学者になりましたが、元来はオーストリア人、つまりドイツ人でした。「マルクシズムを通じて自由と平等を獲得できるという信念が完全に崩れてしまったために、ロシアも全体主義への道、すなわち純然として否定的で、不自由と不平等の支配する不経済な社会への道という、ドイツが歩んできた道を同じくたどらなければならなくなってしまった」、「ファシズムは共産主義が幻想だと明らかになった後にやってくる段階なのだ。そして今、ヒトラー直前のドイツと同様に、スターリン下のソ連において、それは幻想だと明らかになった」
「ヒトラー主義は、自分こそ真の民主主義であり、真の社会主義者であると宣言している」 これは怖いことです。ヒトラーは自分が民主主義者だと本当に信じていました。自分は九十数%の投票によって選ばれたという意識があるからです。だから民主主義と自由主義のどちらが重要かといったら、自由主義が重要なのです。民主主義には怖い民主主義もある。フランス革命でギロチンを使った連中も、それが民主主義だと思っていたし、ヒトラーも、おそらくスターリンも、毛沢東もスカルノも自分は民主主義だと言っていました。一方、自由主義は王政でもかまいません。本当の自由主義、政治的な自由主義が花開いたのはイギリスでしたが、イギリスには王政があり、貴族制があり、社会階級があった。しかし、自由だったのです。そして自由が進むにつれて徐々に民主的になっていった。イギリスでは自由主義から始まったので民主主義が穏やかに成立したといえます。一方では自由主義よりも民主主義が優先するとヒトラーに権力を与える民主主義が生まれてしまうのです。ヒトラーは自分を社会主義者であり、民主主義者であるとはいったけれども、自由主義者だといったことはありません。
自由主義の法律はDon’tであるべきである。Doであってはいけない。ハイエクが是認する法律の特色は「否定」です。「これこれをせよ」という法律ではなく、「これこれすべからず」という法律を求め、否定されていること以外はやっていいというくらいでないと、自由主義ではないというわけです。まだ誰もが同じ条件で取引に参入できるよう開放されることが大事であり、参入を制限することが法によって認められることは許されない、とハイエクは言っています。
「最適な効率を生み出す企業規模は供給の大部分が独占的コントロールに委ねられるという段階のはるか手前で最適点に達する」これは独占になる前に大規模化による効率はストップしてしまうということ言っているわけです。この指摘が正しいことは、現代のパソコンの世界で証明しています。一時、IBMが巨大になり世界中のコンピュータを支配するだろうと思われたことがありました。ところがいつの間にかパソコンで処理をするようになり、IBMの独占神話は消えてしまいました。わずかの資本金でガレージで組み立てたパソコン企業が台頭し、巨人IBMの独占を崩したのです。また「独占は企業間の共謀によって作り出され、政府の公共政策によって促進されている」、これに関してハイエクは、本当の競争において独占したのではなく野心に燃えた諸独占団体が政府に働きかけて他の人が入れないようにしたと解説しています。
競争の衰退と独占の進展が、歴史上どの国から順番に起こってきたか
テクノロジーの進化の結果として独占が進むとか、資本主義の進化の必然的産物が独占であるという主張が正しいとするならば、それは経済体制が一番進んだ国でまず起こるはずだと、ハイエクは考えました。実際はどうだったのか。1870年代において、生活水準が高く、産業社会としては高度だったイギリスではなく、産業が比較的未発達であった米国とドイツで独占企業が出現し、特に1878年以降のドイツではカルテルやシンジケートの拡大-のちに資本主義の必然的進化の典型例とみなされるようになりました-が政府の政策によって体系的に進められていった、ハイエクといいます。1871年に普仏戦争でドイツがフランスに圧勝しました。そのときの経験に基づいててクルップの製鉄工場などを徹底的に強くしていったわけです。つまり、ドイツでは国家が「科学的計画化」や「産業の意図的組織化」を目指して政策を展開し、それが巨大な独占体の形成をもたらしたのです。イギリスはドイツに遅れること50年、1931年に広範な保護主義政策が採用され始めます。そのころ、オタワ会議(1932年)が開かれ、ブロック経済に進んでいきました。アメリカでは1930年にホーリー・スムート法が出て、万里の長城のごとき関税を設けました。その1年間にウォール街で株価暴落があったわけですが、それはホーリー・スムート法が上程されるというので暴落したのです。つまり、ホーリー・スムート法が実施されれば世界の貿易が破壊されるという意見があり、それに株価が敏感に反応して前年の暮れに暴落したということです。1931年までは、イギリスでは競争的体制が維持されていましたが、その後保護主義的政策へと移り、経済政策が変更させられるようになると、独占が増大し、思ってもみないほどの規模で産業が変化してしまったと、ハイエクは指摘します。
自由裁量権は、できるだけ最小限に抑えられなければならない
ハイエクのいう「法の支配」とは、明確に決定され、前もって公表されているルールによって政府が行うべき活動は規制される体制のことであり、自由な国家では「法の支配」が守られているといっています。その場合、行政組織に許される自由裁量権はできるだけ小さくなければならないともいっています。ハイエクの立場からすると、自由裁量の増大は法の破壊に他ならないわけです。日本では行政府の自由裁量権がまことに大きいから、「法の支配」がそれだけ小さいということになります。
> とりわけ、「税法」「税務署」の法解釈は裁量以外の何者でもない。
「法の支配」は形式上のルールだとハイエクは考えます。形式上というのは誰が得するかわからないけれども、原則として決められていると言う意味です。たとえば、「盗むべからず」とか「殺すべからず」という原則は、誰が得するかわからないです。このように具体的利益を得る人が分からないものでなければ、本当の「法の支配」にはならないと、ハイエクはいうのです。一方、集産主義的な計画経済、要するに全体主義的体制はその逆で、ルールに前もって縛られず、何かの必要が発生するたびに何が優先的かを意図的に判断し、それに見合うものを提供しなければならないと、ハイエクはいいます。具体的には「豚は何頭生産されるべきか」「バスは何台運行されるべきか」などの例をあげ、ここの問題において政府が政策を人々に押し付けることになるというのです。
法の公平と言うことは誰がどれだけ得するか予測できない法律を作ることであり、効果が分からないという意味での公平をハイエクは主張しています。したがって、ハイエクにいわせれば、ウルグアイ・ラウンド対策として6兆円を農家にばらまく法律は、「レジスレーション」(立法)であって「ロー」(法)ではありません。得する人がはっきりわかっているからです。ハイエクはこのことをさらに言及して、法律を決めるときに結果がわかっているのでは法律が国民に使われる道具でなくなってしまい、立法者が何らかの目的を国民に押し付ける道具になっているのだと記しています。
「法の支配」は自由主義の時代に発展したものであり、自由主義の時代が達成した最大の業績であると同時に、「法の支配」は単に自由の保障制度ではなく、自由そのものを法に体現したものだと、ハイエクは高い評価を与え、「人間は、他の誰にも従う必要がなく、ただ法律に従えばいいというときにのみ、自由なのだ」というカントの言葉を引用しています。合法的な政府活動が「法の支配」に背くことがあり、ヒトラーの例を示します。ヒトラーは憲法に則り授権法というべき無制限な権力を行使するための法案を国会で可決させた。だから彼がどんなことをやっても司法上は合法であるといえるわけです。そのドイツで「法の支配」があったと誰がいえるだろうか、レジスレーション(議会での立法)すればいいというものであはない。ハイエクが最後に日本に来た時、金融関係の講演で「ある立法は法であるかどうかをチェックし判定する機関が、今の時代で必要ではないか」ということを話していました。ヒトラーのケースのように、特定の機関や人物が「好きなことをしてもいい」と法律で決めたら、どんなことをやっても合法的になります。したがって民主主義は完全な専制政治を作ることもできるわけです。レジスレーションとローの違いを区別しないとそういう危険性を排除できません。
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