> 宙釣りの刑
観物はクリスト教徒同士の格闘から始まるはずとなり、その目的でクリスト教徒は格闘士の装をして、職業的な格闘士が攻撃及び防御に使うあらゆる武器を与えられた。ところがここに失望が起こった。クリスト教徒は砂の上に鎌や刺叉や槍や剣を投げ捨てるとただちに互いに抱き合い、苦悩としに対して忍耐するように励ましあった。あるものはクリスト教徒の卑屈と怯懦を非難し、或るものはクリスト教徒がわざと打ち合いを欲しないのは民衆に対する憎しみのためで雄々しい光景が普段与える喜びを自分達から奪うためだと断言した。到頭皇帝の命令によって本物の格闘士をこれに放ち、跪いている武器の無い人々を瞬く間に切り倒させた。
さて死体を片付け観物は闘技を止めて、皇帝自身の考案による成る神話的な場面の展開に変じた。そこに人々はヘラクレスがオイテの山で生き生きとした火で焼け死ぬところを見た。ヴィニキウスはそのヘラクレス役にウルススが回されるかもしれないと考えて身震いしたが、見たところ順番はまだこのリギアの忠実な僕に来てないで、薪の山では誰か別のヴィニキウスが全く知らないクリスト教徒が焼かれていた。その代わり次の場面では皇帝の命令でその上演に列席するのを逃げられなかったキロンは自分の知っている人々を見ることになった。上演されたのはダイダロスとイカロスの死であった。ダイダロスの役を勤めたのはエウリキウス即ち前にキロンに魚のしるしを教えたあの老人だった。イカロスの役を勤めたのはクァルトゥスであった。二人とも巧妙な機械仕掛けによって上に釣り上げられ、非常な高さから突然アレナに突き落とされたが、その際若いクァルトゥスは皇帝のポディウムのすぐ傍らに落ちたので、その血が外側の装飾ばかりでなく赤い布をかけた欄干にもしぶきかかった。キロンは眼を瞑っていたのでその墜落は見ず、ただ体の重々しい音を聞いただけであるが、やがて自分のすぐ傍らの血を見るともう少しで再び気絶しそうになった。


> 張り付けの刑、人柱
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アレナをならし、その上に次々と列になるように掘り始めた穴は円形の砂場全体を縁から縁まで横切ったので、それらの列の最後は皇帝のポディウムから十数歩のところまで届いた。円形の砂場の外側の人々の呟きや叫びや喝采が揚がり、内側では熱を帯びた速さで何か新しい呵責の準備が行われた。一斉に方々のクニクルムが開くと、アレナに接する全ての口からクリスト教徒の群が幾つも駆り出され、みんな裸体で肩に十字架を背負っていた。円形競技場はこれに充たされた。老人の木の梁の重さで屈みながら走り、それと並んで年配盛りの男や、髪を振り乱してその下に裸身を隠そうとする女や、未熟な少年や、全く小さな子供が出てきた。十字架は大部分、犠牲そのものと同様に花の冠をつけていた。競技場の係はこの不幸な人々を鞭できめつけながら、できていた穴に十字架を立てさせ、その前に並ばせた。
今度は黒人の奴隷が掴んで犠牲の背中を十字架の木に押し付け、腕を横木に一所懸命に早く打ちつけ始めたので、人々が中休みから戻ってみると、既に十字架は高く上げられていた。円形競技場全体に広がった金槌の音は一番上の段から反響して競技場を囲む広場だけでなく、皇帝がヴェスタの処女や友人たちの饗応しているテントの下まで達した。アレナではいそいそと仕事が捗りクリスト教徒の手や足に釘が打ち込まれ、十字架の立っている穴に槌をしゃくい込むシャベルがさくさくと鳴っていた。
ちょうどその時番が周ってきた犠牲の中にクリスプスがいた。あの日獅子が引き裂く暇がなくなったため十字架に当てられたのであるが、何時でも死ぬ覚悟ができているので主に同じ目に会うのだと考えて喜んでいた。今日は様子が変わってその痩せ衰えた体が真裸にされ、ただ腰に蔦の葉を纏っているだけで頭にはバラの冠を戴いていた。金槌によって犠牲の手足は打ち付けられた。次第に数を増してアレナの上には十字架が揚げられていったが、クリスプスはまだ銘々自分の柱の前に立っている人々の群に向って語り続けた。
何も感じていないような様子で、釘がその手に打ち込まれたときにもその体を少しも震わせず、顔にも一つとして苦痛の皺は現れなかった。足を打ちつけられるときも祈っていたし、十字架が揚げられて周りの地面が踏み固められた時にも祈っていた。群衆が笑いと叫びをもって円形競技場を充たし始めた時には、老人の眉は少し顰められて、異教を信ずる民衆が自分の楽しい死の平静を乱すのを憤っている様子であった。しかしその時にはもう全ての十字架が揚げられていたのでアレナの上には恰も柱にかけられている人の森ができていた。犠牲はまだ一人も絶命していなかったが、最初に打ち付けられた幾人かは気絶していた。一人も呻かず哀れみを乞わなかった。この恐ろしい十字架の森、この犠牲の沈黙の中には、何か不吉な兆があった。宴会の後で満腹し陽気になって叫声を揚げながら競技場に入ってきた人々も、どの体に目をやって良いか、何を考えていいかわからなくなって黙り込んだ。皇帝もうんざりしている様子であった。現に首をねじ回してから、物臭な眠そうな顔をしてゆっくりと手を動かし頸飾を整えていた。
その時真正面に懸かっていたクリスプスは、暫く目を瞑って気絶した人が死んでいく人のようであったのが目を開いて皇帝を見つめた。その顔には又容赦しない表情が浮かび、瞳は激しい火に燃えたので、アウグスタニは指でその方を示しながら互いに囁き始めたが、遂に皇帝自身もそれに注意を向けて渋々エメラルドを眼に当てた。すっかり静かになった。すっかり静かになった。見物人の眼はクリスプスに注がれた。クリスプスは右手を動かそうと試みてそれを腕木から引き離そうとするように見えた。やがてその胸が膨らみ、肋骨が目立って飛び出すと叫び始めた。
「母殺し、汝に禍あれ」
アウグスタニは何千と言う民衆の面前で世界の主に浴びせられたこの致命的な罵詈を耳にして息をつくことも控えていた。キロンはすっかり固くなった。皇帝は身震いして指からエメラルドを落とした。「汝に禍あれ、人殺し。酷いことにもほどがある。お前の最後は近づいている。」ここでもう一度身を悶えた。掌を十字架から離して皇帝の頭上にものすごく差し伸べるかと見えたが、その痩せ衰えた腕はなおも長く伸び、体は下にくずおれ、頭は胸の上に垂れて息を引き取った。