キロンはもうすっかり安心したので立ち上り、壁にかかっているランプを一つ取った。ところがその際、頭巾が頭から外れて、光がキロンの顔に真正面からあたると、グラウクスは腰掛から飛び上がって速やかに近寄り、その前に立ち止まって訊いた。『私を覚えてないか、ケファス。』その声には何か非常に恐ろしいものが籠っていたので、居合わせた人々はみんなぞっとした。キロンは、ランプを持ちあげたが、その瞬間にこれに地面に落とし、やがて身を二つに折って溜息をついた。「私ではない…私ではない…御免なさい」しかしグラウクスは長老たちの方を向いて云った。『これが私と家族を売って破滅させた男です…』この男の話はあらゆるクリスト教徒にもヴィニキウスにも知れていた。ただヴィニキウスは包帯をされた時痛みのために絶えず失神していてグラウクスという名前を聞かなかったので、そのグラウクスが誰だか推測できずにいた。しかしウルススにとっては、グラウクスの言葉と結びついて、その瞬間暗闇の中で電光のように速やかであった。それがキロンだとわかると、一っ飛びにその前に出て腕を捕まえ、後ろに廻し、こう叫んだ。「これが私にグラウクスを殺せとそそのかした男です」「ごめんなさい」キロンは歎いた。「お返しします」と叫んで、顔をヴィニキウスのほうに向け「助けてください。ご信頼申し上げておりました。私を守ってください。…お手紙は…持ってまいります。どうぞ、どうぞ…」


ところがヴィニキウスは第一このギリシャ人のすべての事柄を知っていたし、第二に憐れみとはどういうものか胸に覚えが無いので、みんなの中でも一番冷淡に出来事を眺めていたがこう云った。「こいつは庭に埋めてください。手紙は別の人が持っていけばいいんです」 キロンにはこの言葉が最後の宣告のように思われた。ウルススの恐ろしい腕に掴まれてキロンの骨はきりきり音を立て、痛みのあまり涙が溜まった。
しばらく一層大きな静けさが続いた。グラウクスは長い間両手で顔を覆ったまま立っていたが、遂に手をおろしてこう言った。『ケファス、神がお前に私の受けた不正を赦されんことを、私がお前にそれをクリストの名に於いて赦すごとく。』するとウルススもギリシャ人の腕を放して同時にこう附け加えた。「私があなたを赦すように、救主が私に恵みを垂れ給わんことを」その時使徒はこう云った「安心して行きなさい」
ヴィニキウスも同様にこの時起こったことがはっきりと呑み込めなかった。心の底では実際キロンに劣らず驚いていた。これらの人々が自分に封して襲撃の復讐をするどころか、丹念に傷の看護をしてくれたことを、ヴィニキウスは一部分この人々の奉ずる教に帰し、それ以上リギアのお陰だとし、少しは自分の身分の偉さによるものと考えた。しかし、キロンに封するこの人々の態度は、人間の赦す気持ちについてヴィニキウスが懐いていた考えを全く超えていた。ウルススはキロンを庭に埋めてもかまわなかったし、夜ティベリス河まで運び出しても良かった。皇帝でさえ夜の間に辻強盗を働くその時分の事であるから、朝になって河が人間の死体を打ち上げることは度々あったが、それがどこから来たのか取り調べる人さえなかった。それにヴィニキウスの考によれば、クリスト教徒たちはキロンを打ち殺してかまわないばかりでなく、打ち殺すのが当然であった。身に受けた不正を復讐するのはヴィニキウスから見るとすべての人々が考えているように、正当なこととして赦されるはずである。その復讐を断念するのはヴィニキウスの意に反している。なぜこのギリシャ人を裁判の手に委ねないのか。なぜ使徒は人が七度罪を犯せば七度赦さねばならないと説いたのか。またなぜグラウクスが「私がお前を赦すように、神がお前を赦されんことを」と云ったのか。
ウルススは実際ローマで殺そうと思う人を殺しても全く罰を受けないのである。なぜかといえば、それからネムスの森の王を殺してそれに取って代りさえすればいいのだ。…クロトンでさえ刃向えなかったこの男に、祭司の位をもっている格闘士が刃向えようか。その位につくには、ただ先任の「王」を殺しさえすれば良かった。それらの全ての問いに封して答えは一つしかない。つまりあの人々が殺さないのは何か大きな、それまで世界に無かったような善意によるものであり、自分を忘れ、自分の受けた不正を忘れ、自分の幸福も不幸も忘れて、他の人々のために生きることを命ずる、眼の無い人間愛によるものである。ヴィニキウスは、全ての幸福及び快楽を他人の利益のために断念する義務に結びついている地上の生活は、定めし惨めなものに違いないと感じた。しかし一つの事がヴィニキウスを打った。それはキロンが立ち去ってから何か深い喜びがみんなの顔に輝いたことである。使徒はグラウクスに近づき、掌をその頭の上に置いて、こう云った。「キリストはあなたの中で勝った」 するとグラウクスは信頼と歓喜に満ちた目の上に挙げて、何か大きな思いもがけない幸福が自分の上に注いだような風であった。
> 報復・殺し合いの連鎖を止めることで、生き残ってきたということがわかりますね。
ヴィニキウスの前には、底のない深淵のようなものが見えた。自分は貴族だ。トリブヌスミリトゥムだ。有力者だ。しかし自分の属する世界のあらゆる権力の上には、一人の気違が立っていて、それの意思も悪意も予見することができなかった。これを気にかけず恐れずにいられるのはただ、世界全体もその別離や苦痛も死さえも何とも思わないクリスト教徒のような人々だけである。他の全ての者はこの気違の前に慄えなければならない。それらの人々が生きているこの時代の恐怖の忌まわしい全領域がヴィニキウスにはありありと見えた。これではリギアをアウルス夫妻に返すことはできない。もしかするとあの怪物がリギアを思い出してその上に怒りを向ける心配がある。自分がもしリギアを妻とすれば、同じ理由からリギアも自分もアウルス夫妻が受けているような危険に曝されることになろう。ネロが一瞬不機嫌になるだけで全ての人々は滅びてしまう。ヴィニキウスは生まれて初めて、世界が変わってしまうか、それとも生きることが全く不可能になるほかないと感じた。それと共に一瞬間前にはまだ自分に不明であったこと、即ち、こういう時代にはクリスト教徒だけが幸福になれるということを理解した。
リギアは翌朝早く寝室を出ると、クリスプスを庭に呼び出して心をすっかり打ち明け、もう自分自身に信頼が持てず、ヴィニキウスに対する愛を胸の中に抑えることもできないから、ミリアムの家を去ることを許していただきたいと懇願した。クリスプスは年をとって厳格な、いつも恍惚に浸っている人であったし、リギアがミリアムの家を去るという意向に賛成したが、その考からすると詰みの深い愛に対しては赦しの言葉を見出さなかった。逃げてきてから自分が庇護を与え、可愛がってその信仰を固くしてやり、今までクリストの教の土地に生えて地上の息を少しも受けない浄らかな白百合のように見ていたそのリギアの魂に、天上の愛以外の愛が宿ったと考えると、クリスプスの心は激昂した
夏も冬も青々としている蔦の間からクリスプスの眼に人が二人見えた。その一人はペテロであった。リギアは跪いて絶望したように両腕でペテロの足を抱き、自分の悩んでいる頭をその著物の壁に押し付けたまま黙っていた。ペテロは云った。「あなた方の魂に平安あれ。」 そうして足許に伏している少女を見ながら、どうしたのかと訊いた。そこでクリスプスは自分にリギアが告白したすべての事、その罪の深い愛や、ミリアムの家から逃げ出したがっていることあ自分が涙のように浄いものとしてクリストに捧げようと思っていた魂が、異教の世界を侵して神の罰を待っているあらゆる罪悪に加わっている男に対する地上の心持で汚されたのを知った自分の悲しみを話し始めた。使徒は終まで聴いてしまうと身を屈めてリギアの頭に老に衰えた手を置いてから、年を取った司祭に眼を挙げてこう云った。「クリスプス、あなたは我々の主がかなった婚礼に招かれて、花嫁と花婿の愛を祝福した話を聞いていませんか」 クリスプスの手は下に落ちた。そう云った人を驚きの目で見て一言も出せなかった。するとペトロは暫く黙ってからまた訊いた。「クリスプス、あなたはマグダラのマリアを自分の足許に伏したままにさせてあの誰の目にも明らかな罪人を許したクリストが、野の百合のように浄らかなこの少女から顔を背けると思いますか。あなたの愛している人の目が真理の光に開かない間は、あなたもあの人を避けることになさい。あなたを罪に引き入れるといけないから。ただその人のために祈りなさい。あなたの愛には罪は無いのです。しかしあなたは誘惑を防ぎたいと思っているのだから、それはあなたの手柄に数えられます。そう苦しんだり泣いたりなさるな。救主の恵みはあなたを見捨てていないし、あなたの祈りは聴かれます。悲しい日の後には嬉しい日が来ます。」
「リギアを妻に下さい。あなた方に誓います。あれをクリストを信じるのを禁じないばかりか、私自身もクリストの教を学び始めよう。人の話では、あなた方の教によると生命も人間の喜びも幸福も法律も秩序も官憲もローマの支配も問題にならないのだということでした。あなた方は気違いじみた人間だと人は云いました。何をあなた方は持ってくるのか。愛することは罪ですか。喜びを求めるのは罪ですか。幸福を欲するのは罪ですか。あなた方は人生の敵なのですか。クリスト教徒は貧乏でなければならないのですか。私はリギアを思い切らなければならないのですか。あなた方の真理とはどんなものなのですか。ギリシャは叡智と美を創造した。ローマは力を創造した。だから何を持ってくるか言ってください。」
「我々は愛を持ってくる」とペテロは云った。しかし年老いた使徒は、籠に閉じ込められた鳥のように空気や太陽の方に飛ぼうとする、悩みに沈んだ魂に心を動かしたので、ヴィニキウスに手を差し伸べて云った。「門を叩くものは開かるるなり(マタイ7-8) 主の恵みはあなたの上にあるのだから、私はあなたとあなたの魂とあなたの愛を救主の名に於て祝福する」 躍起になってこう話していたヴィニキウスは、その祝福を聴くと、ペテロの方に駆け寄ったが、その時異常なことが起こった。それはつ前まで外国人を人間と思わなかった生粋のローマ人の子の子孫が、このガリラヤの老人の手をとって感謝のあまり自分の口に押し付けたことである。ペテロは喜んだ。また新しく種子が更に一つの畑に落ち、自分の魚網が更に一つの魂を捕えたことがわかったからである。居合わせた人々も神の使徒に対する尊敬のこの明白な徴をやはり喜び、声を合わせて叫んだ。「天にまします主に栄あれ。」
ローマでは皇帝が途中でオスティアの訪問より寧ろ、アレクサンドリアから最近穀物を運んできた世界最大の船の検分を望んでいて、そこからヴィアリトラリス(沿岸国道)をアンティウムまで行くということが知られていた。命令は既に数日前に出ていたので、朝早くからオスティエンシス門(ローマ市南西端の門)には都の民衆と世界のあらゆる民族とからなる群衆が詰めかけて、ローマの平民が一度も十分に見ることのできなかった皇帝の行列の観覧に眼を楽しませようとした。
シェンキェヴィチ
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