ゴー・チョクトン時代 閣僚給与の引き上げ
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ゴー政権を支える有力閣僚のトニー・タン教育相とダナバラン国家開発相の辞任が発表された。タンは経済界(銀行)に復帰し、ダナバランは自分で事業を始めたいというのが辞任の理由だった。1993年には、ヨー国防相も政治家を辞めて市民生活に戻りたいとの意向を表明した。

ちなみにシンガポールの国家予算は、軍事、開発、教育に各3割ずつ使っているので、この3人がいかに重要なポストにいたかというのがわかる。

しかし、立て続く官僚の辞職にゴー首相は、シンガポールは有能な彼らを必要とするのに、極めて由々しい事態であると嘆いた。そしてこれが国家指導者を確保するための次の措置へとつながり、その施策が国民の間で大きな議論を呼ぶことになる。閣僚や高級官僚の給与を大幅に引き上げ、その際に参考にしたのが、民間の銀行家、弁護士、外国企業の専門経営者などの6つの職種の高級所得者上位4人、合計24人の所得で彼らの年間平均所得を算出してその2/3を最も等級の低い閣僚の所得、そして首相はその2倍としたのである。この結果、首相の給与は55万2000シンガポールドルからまず114万8000シンガポールドル(8380万円)に引き上げられ(1994年当時のシンガポールの一人当たり国民所得3万シンガポールドルの約53倍)、その後も段階的に引き上げられて最終的には160万シンガポールドル(1億1680万円)まで引き上げられることになった。この措置に対して、野党や一部の国民から高額過ぎるとの批判が起こったが、政府は必要な措置であるとして、批判をはねつけた。

高額所得者平均所得×2/3×2=115万シンガポールドルということは、平均で86万シンガポールドルか…

シンガポールのインターネット上で行われた、もし首相を公選で選ぶとしたらだれに投票するのかについての「仮想首相公選」がある。結果はゴー39%、トニー・タン19%、ヨー12%、リー・シェンロンは4位の12%にとどまった。

プッ

海外投資は、証券投資、為替投資、不動産投資などが中心で、テマセク・ホールディングス社の運用資産は、1974年設立時の1億5000万ドルから2007年には1000億ドルを超え、政府海外投資公社の運用資産も2006年には1000億ドルを超えた。ただ、シンガポール政府の海外投資、とりわけ、アジア投資は、投資先国で政治的軋轢や批判を招くことも少なくない。近年の代表例が、リー首相夫人のホー・チンが経営責任者のテマセク・ホールディングスのタイ投資である。2006年1月、テマセク・ホールディングス社はタクシン首相(当時)一族が所有する通信会社シン・コーポレーション社の株式約50%を、733億バーツ(約2100億円)で購入して筆頭株主になった。同社からすると、これは通常のアジア投資の一つだったが、タクシン一族が株式売却益の課税逃れと思われる行動を取ったこと、買収企業がタイの国家機密にかかわる事業を扱っていたことから、タイ国民の間でこの買収に批判が起こった。そのため、同年9月にタクシン首相が失脚しただけでなく、テマセク・ホールディングス社もシン・コーポレーション社株式の売却を余儀なくされる。
1970年のシンガポールの出生率は3.10と高く、政府は増加する人口対策として「子供は2人まで」というスローガンで人口抑制策を取っていた。しかし、1980年に1.74に低下して労働力不足に陥ると、87年に「できるなら子供を3人以上持とう」というスローガンで多産奨励政策に転換した。ただし、すべての女性国民が対象なのではなく、シンガポールの知的水準が低下することを懸念した当時のリー首相の意向を受けて、そのターゲットは低学歴女性やマレー人女性を除いた、大学教育を受けた華人女性とされ、華人大卒女性を対象にした政府主催の集団見合い会などが開催された。

こうして…、シンガポールはさらにブスが増えていく。人間の生殖過程は、自然の場合、可愛い子にムラッと来ることで発生するので、ブスの生殖確率が若干下がるわけだが、このように学歴だけで選び、交配させると自然が生み出す通常交配の平均よりも下がるのは当然であるw

人民行動党の敗因
1つは生活環境の悪化に対する国民の不満である。近年、政府は外国人移民奨励政策を進めたが、これがシンガポール人中間層の雇用機会を奪ったことである。富裕な外国人の投資がマンションなどの不動産に向かい、それが多くの国民が住む公共住宅価格に波及していた。また経済成長率は2009年のマイナス1.0%から、2010年には14.8%と大幅に改善されたが、同時にこれが物価高を招いた。もう一つは若い世代の国民を中心とした人民行動党の管理政治に対する不満である。
アルジュニード集団選挙区での苦戦を感じ取ったリー・クアンユーは、野党を選んだ戦局の住民発議の選挙までの5年間、野党を選んだことを後悔することになるという趣旨の発言をしていた。これはリー・クアンユー得意の威嚇的発言であり、人民行動党の典型的な旧来型言説であった。しかし、今回の選挙ではこの発言が国民の反感と反発を買い、インターネットのサイトにリー発言を批判する書き込みがあふれ、息子のリー・シェンロンが選挙戦を戦っているのは自分たちであるとして、父親のリー・クアンユーに威嚇的発言を控えるように要請すらしたのである。
リー・クアンユーの退陣
リー首相は総選挙後の会見で、過去5年の統治において2008年2月に発生した拘留中のイスラーム過激派幹部の脱獄事件、最大の目抜き通りオーチャード通りの洪水、政府の住宅問題や公共輸送問題に対する遅い対応など、具体的な失政例を上げて国民に謝罪した。今まで人民行動党は有能で万能であるとして、決して国民に頭を下げることが無かったことを考えると極めて異例であった。

しかし、脱獄事件を除き、失策例が呑気で可愛い。やはり国家というより都市だな。

シンガポールとは 宿命的構造と特質
どの国も社会を基盤に国家が成立したものである。つまり、最初に民族や言語や宗教を軸に人々が集まって社会が形成され、その後、社会の秩序を維持するために国家が創られたものである。しかしシンガポールはそもそも国家に専攻する社会は無く、王朝国家が創られたことも無い。もちろんジョホール王国の領土だったが国王が常駐して統治していたのではなく、王都から離れたほぼ無人の土地だった。シンガポールは社会と国家の生成パターンも国家と社会の関係も、多くの国と異なり、社会が国家を生みだしたのではなく、2つの時代とともに国家が社会を作ったものなのである。社会が無く、国家が社会に先行して誕生するとどうなるのか。その解答は植民地時代も現代も強力な国家である。
独立国家時代になると、シンガポールの政治と経済は植民地時代から大きな変容を遂げたが、新しい文化が誕生することは無かった。このことは「シンガポール人」がいても「シンガポール文化」がないことに象徴されている。プラグマティズムを運営原理にする社会では、非実用的な文化は「贅沢品」と考えられたのである。
シンガポールは国家ではない。インドネシアの一部の政治家は、シンガポールは国家の要件を満たしておらず、一つの都市にすぎないと見ている。地域機構ASEANはシンガポールを他の加盟国と同等の資格を持った一つの国として遇しているが、一部の人々のシンガポールを見る目には、国家とはギャップがある。

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