皇帝のラスプーチンへの寵愛はじきに回復した。1915年1月2日、ヴィルボワがペトログラードにいる父に会いに行くために乗った列車が脱線した。彼女は自己で壊れたラジエーターのパイプに両足に挟まれて動けなくなり、顔には重い鉄製のクロス梁が落ちてきた。足と脊椎に重傷をおって病院に運ばれた時には意識がなかった。ラスプーチンは病院に駆けつけ「アニューシュカ、聞こえるかな?」 「グリゴーリー!グリゴーリー!」と彼女は叫んだ。皇帝の宮内官房長アレクサンドル・モソロフによれば「ラスプーチンはよろめきながら部屋を出たところで失神して倒れた。気がついたときには全力を使い果たした感じで汗びっしょりだった」 モソロフは長老の信奉者ではなかったので、彼の威力を誇張するはずはない。ラスプーチンの介入がアンナの生命を救ったかどうかは難しいところだが、少なくとも、患者の意識を取り戻させた


4日後、今度はラスプーチンが死にかけた。カメンストロフスキー大通りを全速力で走ってきたトロイカに跳ねられたのだ。秘密の警察の保安部員が、その場所に乗っていた人間を捕まえてみると、一行はツァリーツィンからきたことがわかった。彼らはイリオドルの密偵で、ラスプーチンを殺すつもりだったという。彼らは首都から追放されたが、何の告訴状も提出されなかった。その事件以降、警戒心を強めたオフラーナは、ラスプーチンの行動と接触相手を徹底的に記録することにした。彼は難を逃れたことを喜んで活気を取り戻し、仕事ついでに豪遊するようになり、狂ったようにワインやマディラ酒を飲むようになった。彼の性欲は相変わらず旺盛で、権力や使えるカネの潤沢さなどを肥やしに機会さえあれば増大する傾向にあった。ロジェストヴェンスカヤ通りにある公衆浴場へ、娼婦達を連れて何度か出かけたという記録もある
ラスプーチンの娘マリーヤは、若いグルジア人の騎兵隊将校シメオン・プハカーゼと婚約していた。この青年が未来の義父にトルストイ伯爵の家で行われるパーティーに来て欲しいと頼んだ。当日、出席者の大半は酔っ払っていた。ラスプーチンは突然、プハカーゼが拳銃をとりだし、彼に狙いを定めるのを見た。彼はじっとこの男を見つめながら「わしを殺したいのだろうが、あんたの腕は言うことを聞かないよ」と言った。プハカーゼは度肝を抜かれて、客達がパニック状態になっている間に逃げ出した。ラスプーチンはくるりと背を向け、部屋を出て毛皮のコートを手にするとさっさとその場を去った。件の青年大尉は自室に戻って自殺を図ったが、生命をとりとめた。「暗殺は未遂に終わった。プハカーゼはもちろん、もはやわしの娘の婚約者ではない。故郷へ帰ってもらう」。この大尉はラスプーチンを殺そうとする軍部の陰謀に加わるべく、休暇をもらっていたに違いないとにらんだシマノヴィチは危険はさらに大きくなっていると彼に忠告した。
エリザベータ大公女(皇后の姉)が負傷したロシア兵とドイツ兵捕虜が到着したばかりの病院を見舞った。大公女はロシア兵を床に寝かせ、ドイツ兵を空いたベッドに寝かせるように婦長に命じた。「ドイツ人は文化的で、快適な生活に慣れているが、ロシア人はあまり違和感がないだろうから」と彼女は言ったという。これは事実ではなかった。大公女はとりわけ慈悲深い女性だった。彼女は捕虜を見舞ったことはないと否定した。だが、群衆はこの話を信じた。彼らはまたエリザベータが尼層院内にドイツ人スパイや、弟のヘッセン大公エルネストをかくまっていると叫んだ。「そのドイツ女をやっつけろ!」という声とともに彼女に最初に石が投げられた時、軍隊がやってきて群集を追い払った。彼らはアレクサンドラの名前を声高に叫び、「ドイツ人売女(ニエーメツカヤ・ブリヤード)!」と捨て台詞を残して去っていた。略奪者達は警察が発砲すると彼らは、「ドイツ軍と戦う弾薬はないくせに、ロシア人を殺す弾薬がよくあるな!」と叫んだ。これはまったくの屈辱だった。ブルシーロフ将軍はなおもガリチア戦線で多大の犠牲を払ってプシェミスリを死守していたが、そこはもはや事実上の要塞ではなくなっていると断言した。中は会っても弾薬がまったくなかったからである。兵士250人のうち戦前からの正規兵で生き残ったのはたった6人、連隊つきの将校は5,6人だった。「戦争が始まって1年で正規軍は消滅した。補充されたのは何も知らない徴収兵ばかりだった。」
ラスプーチンが恐れていたように、内相マクラコフは解任された。後任のニコライ・シュチュルバートフ公は、内務省は「あまりに支離滅裂で感化できない」と直感的に悟るほど有能な男だった。もちろん、ラスプーチンの手の内の人間ではない。皇后は6週間以内に彼を更迭せよと扇動しはじめかねなかったが、さしあたり、ラスプーチンの立場は弱かった。シュチェルバートフが最初に起こした行動の一つは、次官でオフラーナ警保局長ジュンコフスキー将軍に命じて、ラスプーチン及びモスクワのナイトクラブ「ヤール」での事件について徹底的な報告書を作成させることだった。
神は彼に全てを開きたもう 女帝再来
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アレクサンドラは今や、躁病にかかったような勢いで政治に踏み込んでいた。彼女は、おだて、脅し、ダッシュやアンダーラインなどで延々と続く手紙で夫を支配した。皇帝の黒革のスーツケースは彼女の手紙でいっぱいになった。彼女の考え方は単純かつ向こう見ずだった。専制政治は「坊やのために」何が何でも保持しなければならない。彼女は憲法、議会主義者を軽蔑し、国会に責任を持つ政府を要求する不健全な人たちと、このような人たちを育む都市を嫌った。ロマノフ家のほかの人たちとは付き合わなかった。神、王朝、そしてラスプーチンのような信心深い庶民を彼女は信じた。彼女は夫の留守中に与えられた権力に鼻高々で、「私はエカチェリーナ女帝以来、大臣を引見した最初の皇后です」と夫を誇らしげに言った。イヴァン・ツルゲーネフは、ロシアの女性は男性よりも正確や決断力、気性が強いと考えていた。サマーセット・モームは、「ロシアの女性が男に対して積極果敢で人前で男の誇りを傷つけることに官能的快感を感じているように見える」ことに感心した。モームによれば、ロシアの男は「女性のように消極的で、すぐに泣く」という。これは、アレクサンドラと彼女夫にすべて当てはまる現象だった。
ラスプーチンには番人をつける必要があった。べレツキーは理想的なスパイ兼ボディーガード役として、憲兵隊のコミッサーロフ将軍を選んだ。彼は内務省のためにあらゆるスパイ行為と汚い仕事をやらされた。たとえば、外国大使館から暗号通信文を盗んで解読した。外務省より早く、内務省が外交政策の問題点を知っていたと彼は自慢した。高級官僚にボディーガードを提供するのも、彼の仕事だった。ベレツキーは彼にオフラーナの分遣隊を与えその仕事について注意深く指示した。将軍の仕事はラスプーチンが表沙汰になりそうなスキャンダルに巻き込まれるのを防ぐことだった。もしそれがうまく行かなかった時は、目撃証人達を買収することになっていた。内務省へのラスプーチンの懇願はすべて、できる限り認められるはずだった。将軍の究極の役目はラスプーチンを生かしておくことと、この男をしっかり把握しておくために、あらゆる証拠を集めておくことだった。
【差別被差別構造】
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