徳川家康は律儀者でもなければ徳人でもない。自分の安全と栄達のために妻と息子を斬殺した冷血漢であり、織田信長の横死の隙に甲、信、駿の三カ国をかすめ取った抜け目のない男であり、北条父子の降伏を取り次ぎもせずに自滅させた陰謀家である。「必要以上に律儀振るのは、腹中を隠すためだ」 彼はそう考えている。
古来、中央集権的な政治体制において、少数実力者による寡頭政治が長続きした例はほとんどない。古代ローマの民主制末期に試みられた二度の三頭政治から、現代の共産主義国家でのトロイカ体制に至るまで、寡頭制は総て短命に終わっている。少数のトップグループの中で権力闘争が生じ、優勝者と脱落者が出るからである。つまり3人とか5人とかの少数合議制は、次の独裁者を選抜するためのトーナメントの中間段階に過ぎないのである。世界の歴史と現代の多様な世界を知る我々二十世紀人なら、こうした少数実力者による合議制も幾らか理解できる。だが、この物語の時点、16世紀末の日本人には、凡そ想像を絶する奇妙なものだったに違いない。この頃までに日本人が知り得た政治体制といえば強力な独裁体制か、中央政府がお飾りと化した地方分権体制のいずれかだった。それにも拘わらず、豊臣秀吉はこのなじみ薄い不安定な政治体制を残そうとした。それも無知や酔狂のせいではなく、何年もの間、考えに考えた末にそうしたのである。なぜか・・・答えは明らかだ。幼すぎる我が一子・秀頼が時期独裁者選抜トーナメントに出場しうるまでに育つ時間を稼ぎたかったからである。
太閤秀吉は秀頼が意思と権威を持つ政権担当者に育つまでの時間を己が生命によって埋めたかった。だが、それが困難なことを、この大天才は早くから悟っていた。秀頼の誕生と同時に、秀吉は我が生存に変わる時間稼ぎの方法を必死に模索し始めているのである。だが秀吉の築いた政権の弱点は偉大な創業者の世継ぎがあまりにも遅く出現したことだけではなかった。秀吉は極貧の出であった上に、不思議なほどに血族縁者にも恵まれない孤独な男であった。父祖伝来の家臣など一人もいなかったし、名声を聞いて集まった縁者も、弟の小一郎秀長ただ一人を例外として、みな知能愚鈍、意志薄弱な劣等人ばかりだった。つまり豊臣政権の母体たるべき豊臣家自体が全く弱体希薄だったのである。
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頭は良いけどブ男&下賤の者・秀吉。種無しか、よほど女に嫌われていて子宮が拒絶して不受胎かどっちかだよなぁ・・・。
投資一族の継承、できるかな。俺も頑張らないとっ! 子供は居ても戸籍の上では秀吉と同じ孤独の身。健在である両親も戸籍上に存在しないという・・・
秀長なきあとも秀吉がとった主な徳川対策は、所領城地の配置と対徳川の中心人物の育成であった。つまい局地的軍事バランスによって徳川軍団の行動を牽制することと、家康に幾分かでも対抗できる人物御作り出すことだ。秀吉は、徳川を東海地方から関東に移封させると同時に、蒲生氏郷に91万7千石の大領を与えて会津に駐せしめた。徳川領の北隣りにこの才人に大禄を与えて配置した目的は明らかに徳川牽制である。蒲生氏郷もまた、このことをよく心得ており「わしが会津に居る限り家康が兵を挙げてもその尻に喰らいついて箱根を越させるものではない」と揚言していたという。この氏郷が40歳の若さで病死したことは、秀吉の地域的軍事バランス構想に大きな穴をあけた。これには光成も少なからぬショックを受けたに違いない。氏郷を会津におくことを進言したのは彼自身だったからだ。
もう一つの対策、家康に対抗しうる人物の創造の方はもっと惨憺たる結果になった。秀吉が秀長に次いで豊家の後継者と定めたのは、養子になっていた甥の秀次である。秀吉はこの青年に尾張・北伊勢で100万石の所領を与え、権大納言に引上げ、さらに後には関白の位まで譲った。豊臣家二世の主であることを天下に示したのである。だが、これは大失敗だった。素材が悪過ぎたのだ。秀吉の与えた実収ときらびやかな装飾にもかかわらず、この青年の悪行と愚昧さは一向に直らなかった。秀次は苦労知らずで感謝の気持ちが無く、慈悲心を欠き、やたらと女好きなくせに狂気じみたサディストだった、と『天正記』の中で大田牛一は書いている。それどころかこの身の程知らずの狂躁人は徳川家康や伊達正宗、最上義光等を誘って偉大な養父に叛乱しようとさえ計画したらしい。ここに至って秀吉は、この甥を誅殺せざるを得なくなった。それは蒲生氏郷の死が伝えられてから5カ月あと、朝鮮出兵が中休みになっていた文禄4年(1595年)夏のことである。
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