インド・パキスタン
イランはインド亜大陸とイスラム誕生(700年)以前から交流を持ってきた。しかし、イギリスがインド亜大陸を支配
するようになると、インド帝国とイランを遮断するようになった。
第二次世界大戦後、インドがイギリスからパキスタンと分離して独立する。
イランは、パキスタンと共通の国境、イスラムの信仰を共有ことから友好関係をはぐくむようになったが、
インドとも対立することはなかった。
1965年、71年の印パ戦争の際は、調停役を果たすと供に、パキスタンへの武器供給を停止すると一方で
莫大な石油収入を背景にしてパキスタンへの経済援助をを行った。他方でインドにも経済支援を行い
インドにとってのソ連の重要性を低下させることを目指したものであった。
パキスタンは国内人口の20-25%がシーア派教徒で、イランと敵対的な関係になれば、イランがシーア派を
教唆して、反政府的姿勢をとらせることも考えられた。
核開発に対しては、協力的で、「パキスタンの核兵器の父」とされるA・Q・ハーン博士は、1990年代初頭から
イランへの核テクノロジーや物質の供給を始めた
とされている。
アフガニスタン
厳格なイスラム勢力タリバンは、アフガニスタン全土を制覇する勢いだった。イランは、タリバンがシーア派
との闘争をを聖戦と考えていたことから、険悪な関係にあった。
2001年のアメリカによる対テロ戦争でタリバン政権が崩壊する。これはイランにとって都合の良いことだった。
イランは、パキスタンに駐在するアメリカ軍撤退を要求したが、カルザイ政権は、権力の維持や強化のため
アメリカ軍は必要なことと考えている。
イランとアフガニスタンの緊張をもたらしているものにアフガニスタンからのアヘンの輸出がある。
アヘンはアフガニスタン経済を支える手段となり、GDP52億ドルの52%を占めていた
アメリカがイラク戦争を始めると、イランの安全保障上の脅威、タリバンとサダムフセイン政権が存在しなく
なり、イランにとっては好都合なことであった。外交上アフガニスタンの重要性は薄れたものの、
2005年のアフマディネジャド政権の強硬姿勢はイランの国際的孤立を招いたこともあり、隣国である
アフガニスタンとの良好な関係の維持や発展を考えざるを得ない状態にある。
レバノン
イスラエル軍は、レバノンシーア派のヒズボラをイランやシリアが支えていると訴えた。
ヒズボラは、イランによるレバノンへの「革命の輸出」の受け皿であり、イスラエル軍が、レバノンから撤退
したことは「聖戦による勝利」と賞賛された。
サウジアラビア
アラブ諸国の中で最も親米的なサウジアラビアとイランは緊張した関係を続けている。
ホメイニは、サウジ王政が非イスラム的であり、イスラムの外皮をまといつつも、国民の富を収奪し、王族
が贅沢な暮らしを教授していることを指摘した。サウジアラビアは石油の確保というアメリカの中東政策の
重要な国であるが、イラク戦争後のイラクでシーア派が台頭していることは、スンニ派のサウジにとって
快いことではなく、スンニ派武装勢力に武器や資金を与えている。このことがイラクに混迷をもたらしている。
イスラエル
イランが核兵器を保有するのは時間の問題だと考えるようになった。イスラエルには1981年イラクのオシラク
原子炉を爆撃して破壊し、その時、イスラム世界でイスラエルに対する強い反発が起きなかったことが、
イスラエルの自信となっている。一方、イランが核保有国になれば、中東地域の安全保障環境は劇的に
変化し、サウジアラビアもまた友好国であるパキスタンから核技術移転を考えていくだろう。
また、シリアがイランの核兵器の傘の下に入るかもしれないという重大な懸念もある。
イランは、対テロ戦争によって、アフガニスタン、イラク、中央アジア、湾岸諸国と米軍が駐留する国によって
包囲されている。そうしたイランが体制の維持を図るためには核弾頭の製造が必要というのがアメリカ政府
高官の認識である。
米欧諸国には「理性」があるから核兵器を保有しても良いが、イランなど「テロ支援国家」の核保有は
断固阻止するというアメリカ・NPT(核拡散条約)にはモスリムたちの憤りを招くことになっている。
イランの核施設は、テヘランから300kmほど離れたナタンズの地下100mほどの地中深くに掘られている
仮にナタンズの五万基の遠心分離機が実際に稼動すれば年間20発の核弾頭を製造でき、通常兵器では
この核施設を破壊することは不可能で、地中を貫通するバンカー・バスター戦術核が必要と言われている。