Day: 2016-02-25

紛争と難民 緒方貞子の回想 3/5~領土問題への介入

1993年2月17、私は声明文を発表、「通行妨害を受けている輸送体を基地に戻し、セルビア人勢力支配化のボスニアにおけるすべての救援活動を直ちに停止する。サラエヴォにおけるUNHCRの活動を全面的に一時停止し、包囲下にあるこの38万人都市には最小限の要員だけを残し、ほとんどの職員を引き揚げる。サラエヴォへの物資輸送及び空輸を一時停止する。UNHCRの活動が継続できるボスニアの地域ではUNHCRの救援事業を規模を縮小して維持する」「政治指導者側が援助の再開を要望し、輸送体の通行を妨害しないと保証するなら、即座に再開する」
メディアの論評は、私が決定を下す前に事務総長と協議すべきだったとするニューヨークの外交官や国連職員の批判的な見方を反映したものであった。「事務総長と事前協議せずにボスニアにおける援助活動を『現地での活動上の理由で』一時停止するという、昨日のあなたの声明を懸念している 安全地域を設置することによる将来の領土分割への影響
安全地域政策の矛盾
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私を最も驚かせたのは、オルブライト米国連大使が、安全地域はボスニア共和国領土の基礎となると言及した、次の発言であった。「領土が無い国家は無い。こうした安全地域の設置を通して我々が試みようとしていることは、これらの安全地域をいずれはボスニア国家となる地域として確立することである」。ボスニア紛争の人道問題に没頭していた私は、安全地域をこのような意味で見たことは無かった。領土問題は和平協議にとって重要であることは理解していた。しかし、人の命はどうなるのであろう?
安全地域政策は軍事作成上の位置づけであると同時に、対立する政治的利害の産物でもあった。戦争犠牲者を保護する人道的手段としては、政治的かつ軍事的打算と決定に左右されるものであった。ボスニア政府とその支援者にとって、安全地域は来たるべきボスニア国家の領土分割を軸とした政治解決の担保にするものであった。またボスニア政府にとっては、セルビア軍の陣地へ向けて発砲する場所でもあり、自国の軍隊が休息し、訓練し、装備する場所でもあった。セルビア側は安全地域をボスニア東部を支配下におさめるために制圧すべき軍事攻撃の対象と考えた。

(さらに…)

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