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クロパトキン
時間稼ぎが、クロパトキン戦略の基本方針であった。日本軍に数倍する大兵力の集結を待ち、最後の決戦を予定するが、それまでの戦闘はできるだけ兵力の使い減らしを避け、日本軍に対しては適当に消耗を強いつつ、何段階かに分けて後退していく。その「最終決戦」の線はハルビンにおく、とクロパトキンはいう。さすがにロシア陸軍きっての名将といわれた男だけに、きたるべき満州平野での戦いの様相を、的確に想像できる頭脳をもっていた。「一撃撤退」というこの不思議な作戦は、ロシア陸軍の伝統的作戦であり、敵の補給線が伸びるだけ伸びてついに絶えたころに大反撃に出る。かつてはナポレオンもこれに屈し、後年ヒトラーもこれに屈した
ここ10年、かれの念頭をロシア海軍がはなれたことがなく、つねにそれを仮想敵として日本海軍を作り上げてきた。かれはワン・セットの艦隊をそろえたが、その主力艦は英国製の新品ぞろいで、ロシアの主力艦に比べて性能の点ですぐれていた。山本権兵衛は兵器の性能の信奉者であり、その優劣が戦いの勝敗を決するという点で、どの文明国の海軍指導者よりも近代主義者であった。日本軍がワンセットの艦隊しか持たないのに対し、ロシア海軍はツウ・セットの艦隊をもっていた。1つは極東(旅順・浦塩)にあり、一つは本国(バルチック艦隊)にある。この2つが合すれば、日本海軍は到底勝ち目はない。山本権兵衛総裁による日本海軍の戦略は、ロシアの2つの海軍力が合体せぬ間にまず極東艦隊を沈め、ついで本国艦隊を迎えてこれを沈めるというところにあった。各個撃破である。ところで、ロシアの極東艦隊と日本のワン・セットだけの艦隊とはほぼどう兵力である。山本権兵衛としてはこの艦数、合計トン数の対比を、日本がやや優勢、というところまでもってゆかねばならなかった。海上決戦は、性能と数字の戦いである。敵よりも優勢な数量をもって当たれば戦果が大きいだけでなく、味方の損害も少なくてもすむ。山本権兵衛が「第一回戦」として考えている極東艦隊に対する戦略は、味方の損害をできるだけ軽微なところで抑えるというところにある。でなければ第二回線であるバルチック艦隊との対戦がうまくゆかないだろう。このため日本海軍は開戦ぎりぎりの時期にさらに二隻の準戦艦を買い取った。この二隻の軍艦はアルゼンチンがイタリアのゼノアの造船会社に注文してほぼ竣工しようとしていた新鋭艦で、艦種は巡洋艦であるにせよ、たとえばそのうちの一隻が持つ10インチ砲は2万メートルという世界一の射程を誇るもので、ロシアもこの二隻の軍艦買い入れをねらっていたが、日本は機敏に手を売って買い入れてしまった。「日進」と「春日」がそれである。開戦前、ロシアの警戒網を潜り抜けてこの両艦が日本に回航された。