日本経済は高度経済成長期とはいえ、戦後間もない時期で経済に厚みが無く、常に外貨が不足していて、すぐに「国際収支の天井」になってしまい、その度に金融引き締めが行われていた。銀行は日銀の窓口規制が厳しい一方で、民間の資金需要に応えなければならなかった。それまで、預金集めと言えば富裕層を主体にしていた。一般のお宅にお伺いしてまで預金を集めるようなことはやっていなかった。そのため旺盛な資金需要に応える原資が慢性的に不足していた。そこで大手の銀行は金融市場というマーケットで資金を調達することになるが、当時は銀行が振り出した手形やコールローンなどで資金調達していた。これらの資金は、例えば地方銀行や信用金庫、年金などが市場に放出したお金だ。その資金を大手銀行が調達するのだがこれが預金金利よりはるかに高い金利なのだ。その金利水準が最高16~17%といったこともあった。しかし、そんな高い金利では誰も借りない。貸出金利は公定歩合と連動した水準で、長期プライムレートでは8%程度、短期ではもっと低く設定されていた。高い金利で調達した資金を低い金利で貸し出せば、逆ザヤも極まって銀行はたちまち大赤字になってしまう。
「国際収支の天井」:当時の日本企業は、設備投資を行うためのさまざまの機材を輸入に頼っていた。一方で、輸出は安価な繊維製品が主流である。国内が好景気に沸けば輸入が増えるので、貿易収支が悪化する。外貨準備が底をつき、設備機材や原材料が輸入できなくなる