お金の自由こそが幸福の源 貨幣はこれまで発明されてきた自由の道具のうち最も偉大なものだ
計画経済は独裁的な方法を必要とするから、責任と権力を一人の統制者の手に委ねるべきであり、統制者の行動は民主主義的手続きから解放されなければならない、という計画主義の主張があります。そういう議論が出てくるとき、統制経済は生活の心配がないようにするものであり、ただ経済問題にだけ適用して他のことには関与しないとか、生活の不安がなくなりもっとレベルの高い価値を追求する自由を得るだろう、というようなことが、計画主義者の口から発せられるとハイエクはいいます。これは計画経済、統制経済の悪魔のささやきなのです。
「経済的動機」と呼ばれるものは「チャンス全般への希望」であり、お金は色々な目的を達成するための力への欲望を意味するに過ぎないとハイエクは説明しています。お金があったら外国に行こう、温泉に行こう、別荘を構えよう、子供を大学にやろう等々、そういう目的のためにお金が必要だということはいうまでもないことでしょう。もし、お金だけを純粋な目的とする人が居るとすれば、それは病的な守銭奴以外にないとハイエクに言います。また、世の中にお金があるから貧乏があるとか、お金を憎むというのは、手段と目的を取り違えています。そして、お金は最も広い選択の幅を与えてくれるものであり、自由の道具であり、自由の元だといっています。その裏づけとして「金銭的動機」のほとんどを「非経済的誘因」へ改めたらどうなるかを考えてみることを、ハイエクは勧めています。労働報酬がお金でなく表彰や特権、地位、食べ物、家、旅行、教育の特典といった具体的な形、つまり現物給付でしかもらえなかったらどうなるか。受け取る者に選択の余地がなくなってしまうのは明らかなことです。
> 僕もそうでした。高いマンション、ビジネスクラス、海外での日経新聞や携帯。「それ要らないんで金ください。」と思うと辞めるしかないよね。