武富士の暗部を最もよく知る男が元同社渉外部長の藤川忠政である。藤川は昭和50年3月、国士舘大学経済学部を卒業した。当時の武富士は東京都、千葉県、神奈川県内に10支店を持つ小規模な金融会社で、社員数も100人前後だった。武井は大学を卒業したばかりの若者を相手に「武富士を日本一の金融会社にしてみたい」と熱い思いを語った。
顧客情報漏洩事件の黒幕は、東京・新宿区内にある金融会社「オーエムエフ」の経営者である岡村誠と武富士では見ていた。彼は埼玉大学を卒業後、二つの会社を経て武富士に入社。主に営業、財務畑を歩き常務、専務を務め退社。昭和63年に現在の会社を設立した。岡村の経営するオーエムエフ社は、中小のサラ金、消費者金融会社に資金を融資する、いわゆる「卸」の業者なのである。商売上、信用できる小規模貸金業者が増えれば増えるほど、それも息のかかった業者であればあるほど、安全な資金の貸出先が膨らむわけだから、岡村には願ってもない状況といえる。中小業者の経営にとっての難題は客集めである。そこで彼らは大手金融業者が抱える顧客リストを、ノドから手の出るほど欲しがる。名簿があればDM商法で顧客獲得が容易になるからである。岡村が顧客リストとワンセットにして武富士から大量の社員を引き抜き、系列の金融会社を20社近く作らせていると語る金融関係者は多い。逮捕者を出した前出のアーバンライフなどは、その一部である。
武井保雄の指示を受けた藤川忠政は顧問の福田勝一をともなって、顧客情報の窃取をそそのかしたという、いわゆる横領教唆の罪で岡村誠を警視庁に告訴した。貸し金の卸をしている岡村に資金提供していたのは、東京ドームの子会社である後楽園ファイナンスである。野球や遊園地を通じて子供たちに夢を売る東京ドームが、子会社を通じて、消費者金融会社にせっせと資金を貸し付けている事実はあまり知られていない。後楽園ファイナスの貸付額は、大手信用調査会社によると、ピーク時には約3200億円にもなっている。2003年現在は約2600億円程度と見られている。その代表的な貸付先は、アイフル、千代田トラスト(旧・本田ちよ)、アエル、三和ファイナンス、ナイスなどだる。岡村誠が経営するオーエムエフは後楽園ファイナンスから約400億円の融資を受けていると業界では言われている。オーエムエフの本社は新宿区四谷4丁目に立つ3階建ての豪華なビル内にある。岡村社長の息のかかった消費者金融会社もいくつか入居している。かつて、このビルの所有者は、金融会社「アイチ」だった。”マムシ”と暴力団からも恐れられた森下安道が一代で築き上げた街金最大手の居城である。あくどい商法で一世を風靡したアイチもバブルの崩壊が命取りとなって、平成8年には特別生産に追い込まれ、負債総額1820億円を残して事実上倒産した。