存在了解 存在とは何か。
ハイデガーは少なくともこの時点で、この問いへの-たとえ後に修正せざるを得ないものである-明確な答えを出していたはずである。ただそれを述べるはずだった下巻が書かれないでしまったので、その答えもついに表に出されずに終わってしまった。謎めいた、あるいは思わせぶりなヒントが散在するだけである。しかし、これが分からなければ彼の言うことはほとんど理解できないことになろうから、なんとかその散在するヒントから無理にでも引き出してくる必要がある。一つの手がかりは、「存在は存在者ではない」ということである。存在とは、いわば存在者を存在者たらしめるものであるから、それ自体は一個の存在者ではありえない
「現存在が存在を了解するときにのみ存在は『ある(エス・ギプト)』」
「存在は了解のうちに『ある(エス・ギプト)』」
「現存在が存在するかぎりでのみ、存在は『ある(エス・ギプト)』」
『ある(エス・ギプト)』とルビをふったのは、これが『存在する(ザイン)』という意味での『ある』ではないということを示そうとしてのことがある。もしこれが『存在する』という意味での『ある』だとすると『存在』がふたたび『存在するもの』『存在者』になってしまい、『存在は存在者ではない』という原則に抵触することになる。それを避けようとしてハイデガーは存在に関しては『ある(エス・ギプト)』を『与えられる』と読み替えてくださっても良い。これらの命題は『存在』は現存在の行う『存在了解』の働きのうちにあるのだ、ということを言おうとしているのである。
第二部の第一篇ではカントの「純粋理性批判」の図式機能論と時間論が次いで第二篇ではデカルトと中世スコラ哲学の「存在概念」がさらに第三篇ではアリストテレスの「時間論」が検討されるはずであった。しかしこの題材の選び方はどう見ても適当ではない。第二部全体の主題からすれば、ここではあくまで伝統的存在論の存在概念の検討が行われるべきなのであるから、カントの時間論やアリストテレスの時間論を話題にするのはおかしいのである。ハイデガーもそれには気づいていたのだろう。第一篇のカント解釈、つまりカントの「純粋理性批判」は存在と時間という問題設定の間際まで迫りながらそこに至りつけなかったと見るカント解釈は2年後にそれだけ切り離して「カントと形而上学の問題」(1929年)という独立の著作に仕立て上げられている。これは妥当な措置であった。西洋哲学氏の展開についてすでにかなり明確な見通しを持っていたはずのハイデガーがなぜこんなに不適切な題材の選び方をしたのか、これが私には長い間不思議だったが、最近少しそのわけが分かってきた。この時点ではいわばまだ無名だったハイデガーは、自分の持ち出そうとするあまりにも大胆不敵な考えにためらいを感じて、逃げをうったのではあるまいか。後年ある講義の中で彼は、下巻に当たる部分も当時すでに印刷されてはいたのだが、それをヤスパースに読ませたらさっぱり分かってもらえなかったので出版を断念したと言っている。ヤスパースが理解できなかったのも、おそらくためらいからひどく曖昧な書き方をしていたせいではないかと思う。私も、この時点でハイデガーが下巻にあたる部分、ことにアリストテレスの存在概念の分析を同時に発表していたら、果たして学会に受け入れられたかどうか疑問に思う。「存在と時間」上巻があれほどの成功を見た後とは話が違うのである。