「存在と時間」でハイデガーが何を言おうとしていたのか、未だ理解できずw まぁ予想通りだが、何冊か買ったので、何度か読んで理解を深めていこう。
噛み合わない論争
ハイデガーの著作や講義を丹念に読んでいる人たちは、一様にその思想によって震撼され、その崇拝者ないしは信者になり、ハイデガーの言うことを一言一句ありがたがって、それを口まねすることしかしない。こうした人たちにとっては、ハイデガーのナチス加担もそれなりに考えのあってのことか、少なくとも時局のしからしめる不本意な出来事で、その思想の本質には関わりない、免責されてしかるべきだ、ということになる。一方、ハイデガーの批判者は、ほとんどその著作を読んでいない。多少は読んだというかもしれないが、おそらくそれは、読まないで済ます理由を探すために読むといった読み方であろう。当然この人たちにとっては、ハイデガーのナチス加担は、その著作がいかに読むに値しないかを示す絶好の材料でしかない。ほら、やっぱり、というわけで、事実の摘発だけに奔走することになる。どちらもどちらなのである。信奉者たちのようにあからさまな事実に目を閉ざすのも問題だが、その思想を無視して事実の暴露だけに専念する批判も、それでは有名人のスキャンダルの暴露と変わりはない。
> ハイデガーの批判者ではないが、俺の読み方はまさに「読まないで済ます理由を探すために読むといった読み方」だw