アフリカではティゲリヌスの要求によって、その地方の住民全体が参加しなければならない大掛かりな狩が行われた。アジアから象と虎、ナイル河から鰐や河馬、アトラス山脈から獅子、ピレネ山脈から狼と熊、ヒベルニア(今のアイルランド)から猛犬、エピルスからはモロッソイ犬、ゲルマニアからは水牛と巨大で獰猛な野牛が送られた。収監された人の数が多いので、今度の競技は大きさの面でも今まで見られた全ての競技を凌ぐ筈であった。皇帝は火災の思い出を血の中に浸しローマを血で充たそうと望んでいたのであるから、流血も今までこれ以上華々しいものは提供されたことはない。陽気になってきた民衆は、ヴィギリア(夜警)やプラエトリア兵の手筈をしてクリスト教徒を狩り出した。それが困難な仕事でなかったと言うのは、クリスト教徒の大群が尚庭園の中で他の民衆と一緒に宿営していて、公然と自分達の信仰を告白していたからである。包囲されると跪いて歌を歌いながら反抗せずに捕縛した。民衆にはクリスト教徒の落着きの源がわからないので、それを頑迷と考え罪悪を固執するものと見た。
そこで民衆はプラエトリア兵の手からクリスト教徒を奪って自分たちの手で八つ裂きにしそうな形勢になった。女の髪を捉まえて牢獄まで引き摺ったり、子供の頭の敷石に打ちつけたりした。夜になると、人々の雷のような唸声が聞かれ、それが全市に響き渡った。方々の牢獄は何千という人で満ち溢れたが、それでも毎日民衆とプラエトリア兵は新しい犠牲を引っ張ってきた。憐憫の念は消えてしまった。人間が言葉を忘れ、物凄い狂乱の中にただ「クリスト教徒を獅子に食わせろ」という一つの叫びしかおぼえていない有様であった。