雅叙園観光ホテルグループ、日本ドリーム観光の創業者一族の内紛につけこんだ、池田保次
松尾波濤江は、元警視総監の秦野章に相談しました。秦野章は私大卒で初めて警視総監にまでなった警察官僚の立志伝中の人物である。警視庁退職後、参議院議員に転出し、法務大臣まで務めた。そして、創業者松尾の未亡人から相談を受けた秦野は、日本ドリーム観光の社長と副社長に、警察OBの側近を送り込んだ。雅叙園観光株問題は、元山口組系組長対元警視総監の対決だと評判を呼ぶ。このとき日本ドリーム観光の副社長に就任した警視庁OB寺尾文孝は、今も多くの経済事件の裏でその名が取り沙汰される人物である。現在、「リスクコントロール」という企業危機コンサルティング会社を経営する。女性スキャンダルで失脚した元東京高検検事長の則定衛や元東京地検特捜部長の河上和雄を最高顧問に据え、自社の広告塔にしていると斯界では勇名だ。安室奈美恵の所属事務所、ライジングプロダクション(現ヴィジョンファクトリー)の脱税事件(2001年)や福岡で起きたエンジェルファンドの投資詐欺などでも、日本リスクコントロールの名前が見え隠れしていた。
京都新聞グループの創業者の3代目、44歳でグループの後を引き継いだ白石英司は生前不動産開発に熱意を注いだ。そして白石英司の急死から1年後。京都新聞及びKBS京都の簿外債務処理に窮したKBS京都社長の内田は、河原町二条を名鉄から買い戻し、再開発することにより、100億とも言われた簿外債務を帳消しにしよう、と計画する。そうして設立されたのがシティセンター京都である。再開発のためにまずは名鉄から土地を買い戻す工作が必要だった。そこで重要な役回りを演じたのが、金丸信だったのである。金丸信は、問題のシティセンター京都やその所有地の取引をめぐり、ゼネコン最大手の一角である「鹿島建設」まで巻き込んだ。シティセンター京都は、発行済株式2000株、1億円の資本金でスタートした。株は多方面に配られたが、最終的に許のCTCグループが約70%を所有するようになる。