太田は幼名を新太郎という。1925年、清蔵の長男として生まれ、1947年東京大学経済学部を卒業。いったん東京電力の前身である日本発送電に入社する。それからハーバードビジネススクールへ留学した後、1953年に東邦生命入りし、30歳を前にして重役となっている。1977年太田家6代目として東邦生命の社長に就任した新太郎はその後、清蔵を襲名した。福岡出身の太田清蔵は、地元選出の自民党代議士、太田誠一とは従兄弟同士にあたる。太田誠一の叔父が元衆議院議長の桜内義雄である。そんな太田家の影響力は、地元福岡の金融界はむろん、県内の鉄道や流通業界にまで及んだ。福岡だけではない。太田の実姉は関西の鴻池家13代目当主、鴻池善右衛門に嫁ぎ、姻戚関係を結んでいる。300年の歴史を持つ鴻池家は旧三和銀行を設立した名家だ。さらに太田の叔母はヤマサ醤油の濱口家に嫁いでいる。清酒「菊正宗」の造り酒屋である嘉納家や百貨店「松坂屋」の伊藤家とも姻戚関係にある。太田清蔵の率いた東邦生命は、前身を第一徴兵保険といい、富国強兵の国策として軍備増強に邁進した明治政府が、福岡の太田家に依頼して設立した。文字通り、徴兵される兵隊のための生命保険会社だ。