4.ヨハン大公失踪事件
ヨハン・サルバドール大公は、従兄弟のオーストリア皇太子ルドルフと手を結び、フランツ・ヨーゼフ1世を退位させるクーデターを計画した。が、ルドルフが心中死を遂げたことで計画が頓挫するときっぱり大公の地位を捨てて、あてもない航海に飛び出してしまったのである。いかに権威あるロイズ保険が彼の死を確認したといっても、大公自身の遺体が発見されない限り、世間はそう簡単に大公の死を認めようとしなかった。かくてヨハン大公を惜しむ人々の間で無数の生存伝説が生まれた。世界のあちこちにヨハン・オルトが現れる。そして伝説によれば、日露戦争前夜に我が日本にも出没しているというのだ。トスカナ公でありオーストリア大公であるヨハン・サルバドールは、1852年、シチリア公国のマルグリット公女とレオポルト2世の息子として生まれた。父がトスカナ王位を退位した後、オーストリアの宮廷で育てられた彼は、知的で才能豊かな青年に成長していった。