北宋時代の地図。小さかった中国、一つではなかった中国が一目でわかる。
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爆発する人口
広大な中国大陸は、人の手による自然の変化を許容し続けてきた。すでに、漢代に人口6000万人に到達していた中国では、その人口を維持するために食糧生産方法の開拓がおこなわれてきた。中国の食糧生産技術、ならびに生産した食糧保存技術の優秀性はかねてより論じられてきたところだが、例をあげると豚や魚の飼育、養殖技術があげられる。野菜の採取選択や蔬菜の品種改良なども注目すべき技術としてあげられる。また、食料として選択した品種も格段に多い。人類の口にする動物や植物は極めて限られているが、中国のそれは群を抜いて広いのだ。たとえば、昆虫だ。現在、人間がもっとも嫌い食されないのが昆虫だ。もっとも昔から食べなかったというわけではない。かつてはアリストテレス、アリストファネス、ブリニウスも昆虫を口にし、孔子もまた口にしたという。が、現在ではほとんど口にしない。動物も同じだ。西洋中世では猫を食したというが、今日では猫や犬を食するということはきわめて特異な風習となった。中国は内陸部の面積に比較して海岸線の短い国家だから、新鮮な海の魚介類は口にしがたかった。中国人は全体としてヨード分が不足がちで、、そこから幾種類かの病気が発生するというが、これも海産物の摂取の不足から出てくるのだ。だが一方で、中国人たちはそれを克服する技術も持っていた。それが、保存技術だ。中国では塩漬けや天日にさらして乾燥させる技術が早くから発達した。これらの乾燥品をたくみにもどす技術も発達した。その代表が乾燥された海鼠、鮑、烏賊、鱶などの調理技術だ。
開封の繁栄
開封は戦国の雄 魏の大梁に端を発するが、秦・漢帝国以後は一時衰退し、歴史の表舞台から姿を消す。それが再度、歴史の舞台に登場するのは、隋の天下統一によってだ。隋の偉大な事業は大運河に象徴される。大運河とはそれまでに各地で作られていた運河を連結し、南から北までの物資輸送システムとした人工水路だ。この水路が黄河に接続するところこそが開封だった。隋・唐が長安に都をおいたのは見当違いではない。北方民族の侵入、西域ルートの確保を考えれば、司令塔としての都の位置は胃水盆地が妥当だ。だが唐帝国の変質と穀物供給などのシステムを考えると、いささか奥にあり過ぎた。だから唐なかごろ以降は多くの皇帝たちが洛陽で過ごすのを常とした。開封は黄河への物資積み替え地点に位置する。
兵卒クラスの収入と支出
下級兵士の年俸は50~70貫前後だ。前近代の経済は、現在のように収入源が一つに絞れない。諸手当や役得を利用した収入もある。仕事以外にさまざまな商いに手を出す。屋台や振り売り、路上で医療行為を行う者もあれば、人の運命をみすえる者もある。年間50貫を解析してみると1日約139文ほどになる。別途支給の副食費と合わせれば、一日150文ほどで、徴発された農民や人夫が請け負う治水工事の日当とほぼ同じだ。この仕事はきつくて危険で汚い。だから多い時で一日300文。宋代の庶民の家族の一日の生活費は約200文ほどというから米価を基準に考えるとかつかつ生きてゆける数値だ。
宋代の鉄の量と質
暑い文明が生み出した高度な陶器や金属製品は錬度を高めるためにいっそう高温を追求するが、このことを軽く見てきたきらいがある。錬度を問題にせずに生産量のみを問題にする傾向があるからだ。中国は高品質の金属の普及と使用にどれだけ努力したのだろうか。生産量が人口サイズに見合っていたか。宋代の鉄の生産量は多かったが、これらの多くは鋳鉄製品は、権力や権威を誇示するために使用されるケースが多かった。巨大な鋳鉄製の像がこのことを物語る。このほかには武器や建築材料や農具、そして鍋釜、包丁などだ。これらの種類はきわめて少ない。包丁一つをとっても日本のように用途に応じた作りは無い。生産量は多くとも社会の本質を変えるほどではなかったと見るべきではないか。後代の鉄砲に銅筒が少なくなかったことを思えば、中国の鉄は錬度が十分でなかったと思われる。関帝廟などで見かけるか関羽使用と称する青龍刀もその粗末さに驚くばかりだ。日本刀のような精度と錬度は見られない。中国の刀がいつまでたっても切れなかったことは、物語の表現に切るといわずに打つとあることからもわかる。
大理国
雲南の地に大理と呼ばれる国が成立したのは唐代だった。雲南の変動は、段忠国6世の子孫を出自と称する段思平からはじまる。937年より22代316年間続く。東は戒州(いまの四川省宜賓市)、西は身毒(インド)、東南はベトナム、東北は成都、北は大雪山、南は海に至ったという。 面積は四川省に匹敵する広大さだった。大理の活躍は唐の衰退とともにいっそう活発になる。そして宋代になると中国に十分に対抗する存在となった。その名を今日にとどめたのはこの地の特産品の石、大理石だった。
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