第3章 オディッセイアについて
「イリアス」は、ヘクトルの戦死と葬式で終わっているが、その後アキレウスも戦死する。アカイア軍はやっとトロイアを陥落されるが、有名な木馬の計略によったのである。アカイア軍は味方同士の間で、また紛争を起こした。これまで仲の良かった総大将アガメムノンとその弟メネラオスとが帰途に着く直前に喧嘩を始めたのである。従弟のアイギストスが王妃クリュタイムネストレと密通しており、帰国したアガメムノンをただちに謀殺してしまった。メネラオスは嵐に遭い、エジプトまで流される。密通したアイギストスとクリュタイムネストレとは、アガメムノンの遺児オレステスに仇を討たれて、ミュケナイにも正しい秩序が回復したところであった。このように戦争中から戦後にかけての混乱はようやく納まりかけていたのであるが、オデュッセウスだけは戦後10年目になってもなお漂流を続けていた。っその間に故国のイタケ島では、この王は死亡したものと見なされるようになり、一種の無政府状態になっていた。そして孤閨を守る王妃ペネロペイアの周囲には、多数の求婚者が押し寄せてきていた。「オデュッセイア」は、このオデュッセウスの放浪と帰国の物語である。
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オデュッセイアにおいては、この善人と悪人との区別がまったく明白なのである。イリアスにおいては、人間の性格や価値は、これほど簡単には割り切られていなかったし、また事件の推移もまったく悲劇的だった。その悲劇性に「イリアス」の美しさがあった。それに比較すれば、「オデュッセイア」には少し甘い人道主義が安易に支配している、ともいえよう。そのため読者に深刻な感動を与え得ず、文学作品として、やや劣るかもしれない。とにかく戦後10年目の世界は、もはや善悪の超越した英雄時代ではなくなっていた。秩序と平凡の道徳を回復し、平凡な新しい社会を作り上げようとしていた。そして、そのような時代の雰囲気が神々の世界へまで反映しているのである。
 しかし、これほど根本的な変化がわうか10年間で起こったとは考えられない。私たち日本人は大東亜戦争に負けるや否や、政治や社会や思想の面で重大な変化を達成した。しかし、これは占領軍の圧力や極度に発達したマスコミの力によって、はじめて達成されたことである。ホメロスの世界には、そのような条件は存在しなかったし、概して古代においては、社会の歩みは、現代と比較すればはるかに遅々たるものであったはずである。
 「イリアス」と「オデュッセイア」との間の精神的な雰囲気の相異は、ミュケナイ時代から暗黒時代へかけての、大きな社会変動と関係している。第一章で述べたように、ミュケナイ文明は戦闘的な文明であり、そこから英雄の武勲を讃える叙事詩が発生したのであった。この文明が崩壊して鉄器時代へ入り、前代とは様相を異にする暗黒時代となった。詩人ホメロスが活躍した時期をたとえば紀元前8世紀とすれば、その頃には新しい体制が、相当に明らかな姿を示し始めていたはずである。すなわち、古典期のギリシアを特徴づける、あの民主的なポリス社会が形成され始めていた。
英雄時代と詩人自身の時代とを結びつける場合に、その主人公としてオデュッセウスが選ばれたのはまことに好都合であった。かれはトロイアへ遠征した英雄たちの中でも重要な役割をはたしていたけれども、きわめて小さな王国の王に過ぎなかった。「イリアス」第二巻の「軍船のカタログ」によれば、アガメムノンが100隻、ネストルが90隻、デュオメデスが80隻の船を指揮していたのに対し、オデュッセウスはわずか12隻しか指揮していなかった。王と言うよりもむしろ一個の有力な貴族と言うべきだった。換言すれば、オデュッセウスの社会的地位は、暗黒時代の中では、第一級の指導的な階級の地位に相当するのである。それゆえ暗黒時代の詩人はオデュッセウスという人物の中に、自分たち自身の時代の価値体系を容易に投入することができたのである。
英雄伝説と民話とを融合させ、英雄時代と詩人自身の時代とを結びつけるのには、相当な無理があったはずである。というのも英雄とは「イリアス」に見られるような英雄的価値体系に生きる人物であり、強烈な個性を持つ。それに対して民話の中では、平凡で素朴な価値体系が支配し、その主人公もそれに相応した常識的な人物であるのが普通である。ここで詩人は重大な課題に直面したわけである。すなわち英雄的な価値体系の体現者を常識的な価値体系の体現者へ変容させるという課題である。オデュッセウスという人物の精神的な成長こそが、この詩篇の主要なテーマとならざるを得なかった。