ケンタウロス、ハリーポッターシリーズとは大違いで、ギリシアの半人半馬の種族は野蛮で攻撃的、加えて好色で、酒に酔うと手がつけられないほど凶暴になる。ケンタウロス族は粗野で野卑な性格であるが、聡明なケイロンや善良なポロスのような例外もいた。
スピンクス、女性の顔とライオンの胴体と鳥の翼を持つ。オイディプスによって倒される。オイディプスは脹れる(oidein)と足(pous)に由来しし脹れ足を意味する。テーバイの王ライオスは、子をもうけてはならないという神託にもかかわらず、妻イオカステとの間に息子を得た。産まれた赤子は足にピンで傷をつけられて山中に捨てられたが、この腫れ足の子は拾われ、コリントスの王の子として育てられた。オイディプスはこの事実を知らずに成長したが、ある日コリントスの王の実の息子ではないと友人から告げられた。彼は衝撃を受け、神託をを求めてデルポイに向かう。だが、アポロン神から告げられた託宣は「父を殺し、母と結ばれるであろう」というさらにショッキングなものであった。そこで彼は神託の実現を恐れて、コリントスには戻らずに漂泊の旅を続けた。オイディプスがある狭い三叉路にさしかかったとき、すれ違いざまに口論になり、相手を誤って殺害してしまう。その人こそ、ほかならぬ事実の父親ライオスであったが、この恐るべき事実はずっと後になってから判明する。オイディプスがテーバイまでやってくると、スピンクスが彼に謎かけを挑んだ。スピンクスはこの町の人々に謎をかけ、正解できない者をむさぼり食う怪物であった。「一つの声を持ち、朝は4本足、昼は二本足、夜は3本足のものは何かというものであった。オイディプスはこの謎に対して無言で自分自身を指差して答えた。怪物は崖から身を投げた。スピンクスを成敗した者が先王の后と結婚してテーバイの王位を継ぐことになっていた。この布告に従ってオイディプスは真実を知らないまま、自分の母親と結婚した。その後何年も経ってから、飢饉がテーバイの国を襲い、その原因を究明するうちに、オイディプス自身にすら隠されていた運命的な恐るべき秘密が白日のもとにさらされた。このとき彼は自らの手で両眼を潰し、杖の助けを借りながら諸国を放浪する身となったのである。
>また来ました。父親殺し。
セイレンとハルピュイア、人間と鳥のハイブリッド。「オデュッセイア第12歌」で船乗り達はセイレンの甘美な歌声に魅了されて船の操縦を誤り、難破の憂き目に会う。「アルゴナウティカ」、ウェルギリウス「アエネイス第3歌」にハルピュイアは登場し、鉤爪で乙女の顔をした鳥、この世で最も恐ろしい怪物とも描写している。アルゴナウティカ第2歌ではアルゴ号の遠征隊と盲目の預言者で王でもあったピネウスとの出会いを描く。ピネウスが食事に手をつけようとすると、どこからともなく飛んできて、嘴で食べ物を横取りし、後にはすさまじい悪臭を残していくのであった。しかしアルゴ船の冒険に加わっていたボレアスたち(北風の擬人化)がこの猛禽たちを追い払った。
エキドナとデュポン エキドナの上半身は美しい女性であるが、下半身は巨大な蛇である。エキドナは数々の畸形の怪物たちをこの世に生み出している。デュポンはゼウスの最後の敵として戦って敗れた超巨大怪物である。「神統記」はこれ以上奇怪なものはおそらくないだろうといわんばかりに、テュポンの描写に力を注ぐ。その肩からは黒い舌をちらつかせる蛇が100匹もついた首が伸び、その眼は爛々と炎を放つ。姿以上におぞましいのはその声である・・・
怪物の意味
怪物の闘争は例外なく、オリュンポスの神々や英雄たちの勝利に終わる。怪物の惨敗という頻繁に繰り返されるパターンにはどんなメッセージがこめられているのであろうか。オリュンポスという権力、つまりギリシア神話における秩序維持の側に立つ者は、たとえ異型であろうとも優遇される。逆に言うと怪物とは体制に与しない者に与えられた名称であり、それゆえにこそ怪物には、正常から逸脱した特異な容貌という負の烙印が押されるのである。次に怪物の系譜をたどるとポントス(海)に連なるものが多いことに気づく。エキドナもポントスの子孫である。海を支配する神ポセイドンは常に神罰として海から怪物を出現させる。海は今でも決して侮ることのできない恐ろしさを秘めている。ましてや航海術や造船技術が未発達だった時代には、人々の心に想像を絶するほどの大きな恐怖をもたらしたことであろう。さらに怪物たちは太古の世界の生成過程の初期に出現したという特徴がある。なかでも海の末裔の怪物は原初の世界の混沌や無秩序の名残であるといえるだろう。一方、怪物に退治する英雄は野蛮と未開に対置される文明と文化のシンボルである。怪物たちの棲息地に目を向けるとほとんどのものはギリシアの中心ではなく遠く離れた場所に住んでいる。理想像としての人間を怪物や野獣と対比して考えた。対ペルシア戦での勝利のあとには、非ギリシア人への意識が強まり、その対比において、人間の概念がギリシア人に狭められていく傾向があった。
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