お姑としての美智子さま
皇室という格式や前例、伝統を大事にする世界に入るということは、どんなに大変なものであるかは最初から覚悟していた。
しかし不幸にも菊のカーテンの内部での風当たりは予想以上の厳しさであった。もはや夫君を除いては孤立無援。しかし
その夫君も皇太子とはいえ、この世界では力がないのは侍従と同様であった。ナンバー2、次代天皇ゆえ宮内庁の長官
以下全員は、皇太子の指示、希望通りに動いてくれるかと思いがちだが、決してそうではない
のだ。美智子さまは頭脳明
晰な方だけに、そのような空気をすぐ感じ取ったのであろう。しかも、これまでよき理解者であった昭和陛下を激怒させるこ
とが重なって、美智子さまは一挙に奈落の底に突き落とされた気持ちだった。東宮ご夫妻は毎週一回、皇居に両陛下を
お招きし、団欒と夕食の三時間余をすごす習わしだった。しかし皇后様に無視されることが多く、美智子さまにとっては毎
週のその日が苦痛でたまらなかった。理由をつけて欠席することがあったが、それが3回、4回とつづけば真実でないことくら
いすぐ分かる。いや、女官長の内通で初めから知られている。皇后様に気をつかった陛下は「美智子がそんなに来たくない
なら、もう来なくて良いッ」とびっくりするような大声で怒りをあらわにされたことがあった。さらに昭和37年頃、聖書事件(常
陸宮が聖書に親しんだことで、美智子妃が誤解を受け、陛下から激怒された
)があり、美智子さまは陛下の逆鱗に触れ、
脳天を金槌で強打されたような衝撃を受けた。当座は口数もほとんどなくなり、沈鬱に物思いにふける日々が続いたとい
う。ご結婚の頃より10キロ体重が減っていた。
> 3時間の無視か。俺はもう30年以上、可愛い女性から無視され続けているがノウノウと生きておるぞ。
> そんな俺も美智子さまと同じく、繊細でな。家の中の不和が原因で去年の12月がボトムだが10キロ体重が減ったよ。
> 幸せな家庭生活で幸せ痩せして、惨めな独身生活で不幸太りしちゃう人も居るのかも知れないなぁ。
皇太子のお妃は皇族か摂家(五家)、せいぜい清華家(九家)から入っていたから美智子さまほどの苦難はなかったと
は思う。しかし、皇族出身のいまの良子(ながこ)皇太后も、実は嫁姑問題では、人知れず苦しみをなめられていた。
良子さまは大正13年に皇太子裕仁天皇と結婚されたが姑にあたるときの皇后節子(さだこ)さまは、男勝りで気性の
強い方だった。節子さまは五摂家の一つ、九条道孝公爵の四女だが、ご生母は15歳から九条家の小間使いとして働
く野間幾子さんである。ご生後七日目より高円寺村の農家で、里子として育てられ、近所の農家の子と泥まみれになっ
て遊んでいた。学齢になって九条家に戻ったが、野間幾子さんはすでに九条家を離れていた。母子の愛情に恵まれない
方だったのだ。皇太后良子さまはお姑の貞明皇后からことあるごとにご忠告を受けていた。貞明皇后はきわめて保守的
で、とくに旧来の風俗習慣、しきたりを大事にする方だった
からそれらに外れると、妃殿下でも女官でも強く注意された。
たとえば前髪でいえば、官中の祭祀やおめでたなどで「おすべからし」「ときさげ」にすることが多いから、戦前までは短髪や
パーマは厳禁だった。しかし仕事に忙しい女官は、戦後パーマをかけはじめた。良子さまは「お手入れが楽でいいわね」と
羨ましそうだったが、貞明皇后の手前、それはできなかった。良子皇后がはじめてパーマをかけられたのは28年3月、貞
明皇后が崩御されてから2年近く過ぎてから
だった。貞明天皇が皇居へ見えるとなった時、女官たちは毎回震え上がった
ものだという。長い独特のご挨拶の文言や服装、所作などに落ち度がないかどうか、2,3日前から気の毒なくらいにはり
つめた。それは良子皇后もまったく同じだった。
> 嫁姑問題は皇室も同じと。ところで女性に質問です。そんなにお義母様は怖いですか? 私男なので理解できません。
> 旧来の風俗習慣、しきたりを大事にする
> 一族家は平民だから、この逆でした。合理性を伴わない習慣や風習は全て否定された。将来の俺嫁は覚悟しろよ。
> 女だから劣っていても許されるなんて男尊女卑的考えは、一族家では認められない。
毎週一度、東宮ご一家で皇居を訪ねるとき、美智子さまは皇后様の好きな絵や画家の予習をしておき、共通の話題
で話がはずむようにつとめられた。同様に草木の事前勉強をして、植物好きの陛下(昭和天皇)を喜ばせられた。陛下
の植物の話といえば、あまりに学問的すぎて、侍従たちはそのお話にお付き合いするたびに辟易とするのが常だった。た
えば、一つの花についても、学名からその由来、どんな色のどんな形の花が、いつごろが盛りで、そしていつ散るのか・・・
と、聞く人がうんざりしていてもおかまいなく、滔々と続けるという方だった。その一徹さはいかにも学者らしいが、そのため
に母君の貞明さまともこのような会話があった。陛下がある日大宮御所へ母宮を訪ねたさい、鶴の一種について話が
及んだ。その鶴が「○○科に属すんでしょ」とおっしゃる貞明さまに陛下は反論された
いえ、鶴目の鶴科に属す○○鳥です。」
「そうじゃないでしょ、○○科のはずですよ」と貞明さまは譲らなかった。貞明さまも頭の良い方で、ご自分の記憶力に自
信があったからだが、このときは陛下のほうが正しかった。学問のことでは陛下もきわめて頑固だったから、お互い主張し
あって、大きな声が隣室に侍る側近にも手に取るように聞こえた
。陛下は関連した鶴の話も説明して理解を求めたが
効なく、お話は数分にも及んだという。最後に根負けした貞明さまが、
「じゃあ、そういうことにしておきましょ」
と「しょ」を尻上がりに言って打ち切られた。しかし陛下は、
いいえ、おたたさま。『そういうことにしておきましょ』ではありません、そうなんです
と陛下も「そうなんです」の「そう」に力をこめてとどめを刺された。学者肌の方ゆえ、中途半端ですますことのできない
方だった。
> 母と息子の会話とはいえ、皇太后と天皇の会話だからねぇ。その場に居合わせた側近は生きた心地がしなかった
> ろうよ。「いいえ、おたたさま」これお洒落だな。「あの時、おたたさまが朕におっしゃった」 なんかぎこちない言い方に
> 思えるのは朕だけか?
> 俺嫁は安心されたし。一族家におけるおたたさまと朕の会話はこのような学術的な話でもなければ、株式やデリバ
> ティブを論ずるわけでもない。ただ、私利私欲・不合理な慣習にとらわれた金遣いや行動をすると「なんで?」と理
> 由を追求されるだけだ。しかし、現・皇太子様はお言葉遣いが平民にかなり近いな。

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