3日目~
 ルネッサンスマラッカ、
 朝食は、ルネッサンスホテルにて、ホテルチェックアウト12:00
 マラッカリバークルーズ 45分程度 一人20MYR
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 昼食はルネッサンスの近所の食堂で、チキンライスボール
 タクシーでタンピン駅へ移動。(1時間80MYR)
2008年に世界遺産に街として登録されたとはいえ、田舎・寂れている印象は否めない。1400年から1800年代前半まで、
香辛料の貿易の中心地として栄えたが、近代港シンガポールにその座を奪われ、衰退する。
しかし、 私はマラッカに、50年後のシンガポールを見る。貿易というのは流行のようなもので、地に根付いた生産活動で
は、無いゆえのもろさが出ている。貿易や金融のような浮き草産業に頼るシンガポールは、一度、産業流出が始まれば
あっという間に寂れ、マラッカのようになるであろう。
今回の旅のメイン マレー鉄道で、マラッカからシンガポールへ入国
 TAMPIN/SINGAPORE 1614/2130(長い! 車だったら3時間!)
マレー鉄道の特徴 寒い、うるさい、遅い、遅れる。
単線なので、どこかで遅延が出るとすれ違い箇所が限定的なため、遅延が波及しやすいのです。
良いところ無いじゃんってのは、ごもっともな意見ですが安さは自慢です。25MYRでシンガポールまで。なので一等車に
アップグレードして合計50MYR使ってしまいました。KLからTAMPINは二等車だったのですが、冷房の効きは一等車の方
がマイルドで助かりました。二等の冷房は相当に強烈ですので、長旅には向きません。そんな時は車両脇の冷房無しス
ペースでスパっと一服すると体が温まります。
夕方タンピン発でしたから、数時間はマラッカの景色を眺めていました。森と街ですが、ほとんどが森。人の気配も無く、
さすが人口が2700万人しかいないアジアの秘境マレーシア。人口密度で言ったら日本の1/4程度というのが風景から
伝わってきます。途中に止まる駅も非常に小さく、改札も無く、人も少ない。
2008.08.21: 東南アジア横断 ~総括 アジア覇者への道 (ご参考:マレーシア周辺諸国の人口)
段々と日が沈み、パーム椰子のプランテーションと森も見えなくなる。
ジョホールバルについたのは既に21時、やっとシンガポールに近づいてきた。ジョホールまで来ればようやく街の明かり
が目立つようになってくる。タンピンからシンガポール国境に向かうにつれ、文明の発展を見ているかのような景色の変化
が面白い。特にシンガポール国境は普段の生活では行くことの無い”シンガポールの田舎”なのではあるが、マレーシア
の風景からすると舗装道路・電燈・建物などはずっと近代化されていて都会的に見える
。日本人から見るとシンガポール
人が誇る経済発展の意味がわからない(シンガポールってすげー国だなぁという認識の日本人は少ないだろう)が、まさに
この違いを”シンガポール人は誇っている”ということがわかるだろう。
鉄道経路の場合の入国審査
マレーシアとシンガポールの国境を越え、シンガポール国内Woodlandという北の僻地に駅があり、そこで全員が下車させ
られる。その駅には空港と同じような税関・入国審査が作られている。そして、また同じ列車に乗り込む。手続きにかかる
時間、そして列車内に隠れている人間が居ないかどうか、細かくCheckするせいか停車時間は異常に長く、30分以上待た
され、スムーズな入国とはいえない。時間優先の場合(はそもそもマレー鉄道などに乗らないような気がするが)、入国審査
後、列車の出発を待たずに、駅を出て、Taxiで帰る方が早いであろう。30分もあればシンガポール国内どこへでもいける。
今回は、マレー鉄道に最後までお付き合いし、マレー鉄道の終着駅はTanjong Pagarの近所にある。この駅構内はシンガ
ポールの陸のOff-Shore。マレーシア領ということだ。
今回のTax Arbitrageの成果
 Blended Whisky Dewar’s 12年 270MYR
Lucky Strike (両切り) 9.5MYR
【治外法権領域】
2010.02.15: 通信隊 それは陸のOff-Shore 
2010.01.28: 無法地帯は違法地帯。合法的な無法地帯とは? 
2010.01.14: 転がる香港に苔は生えない 
2008.09.19: 大使館のあり方 
2009.08.17: インド旅行 前哨戦 Visaの取得 
2008.04.15: 国境 ~統治権の狭間 
2008.01.12: Macau for Family ~香港に住む男のための同伴者と行くマカオツアー