2003年2月に入り、IAEAの決議によって、北朝鮮の核問題は国連安全保障理事会に付託された。
このとき安保理はイラクの大量破壊兵器査察問題で大もめの真っ最中にあったが、結局イラクへの
国連査察は中断に追い込まれ、アメリカは軍事侵攻へと突入
した。この状況を見ながら北朝鮮は
「イラクは査察を受け入れたら攻撃された。安保理協議は戦争の前奏曲なのだ」と声明を発表した。
アメリカによるイラク戦争は大量破壊兵器の廃棄という大義であったが、中東諸国からは「二重基
準」を批判された。
「中東を大量破壊兵器の無い地帯にするという安保理の決定は、イラクだけでなくイスラエルに対
しても等しく適用されなくてはならない。」
ストックホルム国際平和研究所(SIPRI)はイスラエルは現在約200発の核兵器を保有していると推
している。これが事実であれば、イギリスよりも多くの核兵器を保有していることになる。
SIPRIによればイスラエルは1966年にネゲブ砂漠ディモナの施設でプルトニウムの抽出を初めて行い、
最初の核実験の計画を同時期に完了させた。現在の200発の核兵器はみ配備の状態で保管されて
いるという見方が強い。
これらはテルアビブ南東に位置する兵器庫に保管され、運搬手段となるミサイルも隣接して保管され
ているといわれている。イスラエル政府は公式には核兵器の保有を肯定も否定もしないという立場だ。
世界的な大量破壊兵器拡散の脅威を叫ぶアメリカ政府はこうしたイスラエルの脅威を一体どう認識
しているのであろうか。
これを知りたいと思った読者は、アメリカの国防省やCIAのホームページで、各国の大量破壊兵器
疑惑に関する報告書
を調べてみていただきたい。イラク、北朝鮮、イラン、インド、パキスタン・・・、
といった具合に国別に記述されている近年の主要な報告書にはイスラエルという国の項目そのも
のがない
ことに気づかれるだろう。アメリカはイスラエルの大量破壊兵器を一貫して不問に付して
きたのである。
ブッシュ米大統領は2002年9月の国連総会で、フセイン政権を名指ししながら「正当性を失った政
権は、権力の座から追われるのだ」と演説し、政権転覆への露骨な威嚇のメッセージを発した。この
直後、4年間査察を拒否し続けてきたイラク政府は査察の受け入れを国連に通告した。アメリカは
査察で問題が見つかれば直ちに軍事行動に移ることがきるような新たな国連決議を求めた。決議
はまた、軍事目的に限らず民生目的の核・化学・生物計画もすべて含めた完全な申告書を一ヶ月
以内に提出せよとイラクに要求した。これはエネルギーや薬品といった分野の研究や産業活動も含む
ものになり、およそ一国家がその全容を一ヶ月以内に文書にまとめるということは非現実的であった。
3月17日ブッシュ大統領は「フセインが政権にある限り、武装解除できない」とテレビ演説を行い、
フセイン大統領に国外退去を求める最後通牒を発した。こうして国連査察団はイラクからの撤退を
余儀なくされた。巡航ミサイルトマホーク40基が投下され、バグダッドに炎が上がったのはこの2日
後だった。自動的な武力行使への意向は認められないという国連合意を無視してイラク戦争が開
始されたのである。一連のプロセスは現在の国連査察がきわめて脆弱なものであることも露呈した。
インドの核保有の動機
西洋の大国と同等の立場に立つことを熱望するヒンズー至上主義者の主張を土台にしたものであり、
安全保障上の理由よりも国内政治的要因が中心の動機付けだった。これに対してパキスタンは国境
のカシミール地方の領有権をめぐり、1947年の独立以来半世紀以上にわたってインドと対立してきた。
両国の通常兵力はインド130万人に対してパキスタンは62万人といわれており、パキスタンの劣勢は
明らかである。パキスタンは隣の大国が核兵器を保有した今対抗措置として自分たちも核を持たなけ
れば国の安全を守ることはできないと主張したのだ。
SIPRIは両国の核保有状況についての特定は非常に難しいとした上で、インド30-40発、パキスタン
は30-50発という数値を上げている。 運搬手段としては短距離および中距離の弾道ミサイルが中心
であり、その他に戦闘機も保有している。ミサイルの実験は両国によって繰り返されており、すでに実
戦に使用可能な段階に至っていると考えられる。
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